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論文初期映画
『活劇の誕生~1909年まで』 2026年2月28日
★「ラ・シオタ駅への列車の到着(L’arrivée d’un train en gare de La Ciotat)」(1895) 1ショット45秒
リュミエール兄弟によって撮られているこの作品は遠くから駅のホームに列車が入って来てキャメラの横を通り過ぎて停車し人々が降りたり乗ったり出迎えたりする運動が1ショットで撮られている。
★「工場の出口(La Sortie de l’usine Lumière à Lyon)」(1895) 1ショット40秒
同じくリュミエール兄弟によって撮られているこの作品では仕事が終わって工場の門から出て来てキャメラの横を通り過ぎてゆく労働者たちの運動が撮られている。
★創世記の作品はひとつの出来事をそのまま1ショットでキャメラに収めていることにおいて共通している。人間たちが食べたり、キスをしたり、カードゲームをしたり、決闘をしたり、走ったり歩いたり、踊ったり、曲芸をしたり、汽車、車、馬車、自転車、船、によって動くこと、その他の出来事が断片的な1ショットで撮られている。スクリーンに投射される物体がそこにあることそれだけで驚きを体験できる初期映画は物語の断片を1ショットによって撮ることから始まっている。
■物語
論文「心理的ほんとうらしさと映画史」では物語とは何かについて検討しているが、Aという出来事が起きた、だからBという出来事が起きた、それによってCという出来事が起きた、というような、因果によって連なる出来事をひとまず物語としている。クローズアップ、平行モンタージュ、切り返し、、などと同様に物語の起源もまた明確ではなく一般にドキュメンタリーと言われている「ラ・シオタ駅への列車の到着」(1895)にしても、列車が到着し、だから乗客が降りてきた、という因果の流れを見ることができ物語映画とも定義しうる。物語の因果は受け取り方によっていかようにでも解釈できるが少なくとも物語の起承転結ではなくその断片が撮られることにおいて初期映画は共通している。ここからはその作品が物語映画かドキュメンタリー映画かという困難な分別をすることなく目に見えている運動の断片と質を検討することになる。初期映画の監督は一人で数百本の映画を撮ることはざらでありそれをすべて見て検討することは不可能であることからここではグリフィス論文に続いて私の見ることのできている作品のみについて語ることになる。検討されている作品はすべてYouTubeで視聴できる作品でありYouTubeにアップロードされている作品には多かれ少なかれバイアスがかかっていることからそれらの作品をできる限りランダムにしらみつぶしに見ることによってバイアスを緩くしながらの検討となる。
■人間運動
人間運動とは人間がその営みの中で行う運動でありあらゆる人間の運動が人間運動となる。ラブストーリー、コメディ、ミュージカル、探偵、犯罪、西部劇、、人間が撮られている映画は基本的に人間運動の撮られた映画であり、映画の誕生から現在に至るまでモーションピクチャーには基本的に人間運動が撮られている。「列車の到着」では列車から降りて来る乗客、乗り込む人々、「工場の出口」で仕事が終わり工場から出て来る労働者たちの人間運動が撮られている。
■職業運動
★「Footpads(追いはぎたち)」(1895.5) 1ショット30秒
リュミエールが映画を世に送り出す前にイギリスのロバート・W・ポールによって撮られているこの1ショット30秒の作品は物語映画の起源の一つとされている(以下、起源とは神のみぞ知るほんとうに最初の出来事であり、「」つきの「起源」とは私が見ている作品の範囲での最初の作品)。街で紳士が三人組の追いはぎに襲われている所へ警官が助けに入りもみ合っている1ショットで映画は終わっている。職業とは人々が日々の生計を立てる営みであり人間運動の中でもより日常的で身近な出来事としてある。追いはぎという職業は国家のシステムにおいては存在しないが彼らはそれによって生計を立てているということにおいて運動論的には職業でありここでは追いはぎたちと警官の職業運動が撮られている。撮られているのは追いはぎたちの強盗行為、逮捕しようとしているところ、抵抗しているところであり逮捕されるのか逃げ切るのかという職業運動の結末までは撮られていない。
★「Going to the fire(火事に向かう)」(1896.11.14) 1ショット25秒
職業運動の中で多く撮られているのが警官、犯罪者、消防士であり、特に消防士は早くから撮られている。アメリカのウィリアム・ハイセ(あるいはジェームズ・H・ホワイト) がエジソン社で撮ったこの作品には消防車が火災現場へ向かうシーンが1ショット25秒で撮られているが消火したり住民を救出したりするシーンは撮られていない。同じくエジソンで撮られた「Old Albany, NY Fire Department(ニューヨーク州アルバニー消防署)」(1901)でも火災現場へ向かう幾台もの消防車がひたすらキャメラの横を通り過ぎてゆくシーンが1ショット100秒で撮られている。これらの作品には消防隊が現場へ向かうシーンは撮られていても、消火活動、救出活動という職業運動における因果の連鎖による顛末(以下これを起承転結と書く)は撮られていない。さらにエジソンで撮られた「Firemen Rescuing Men and Women(男性と女性を救助している消防士)」(1901.7)では消防士が燃えている住宅に梯子を掛けて窓から人々を救助するシーンが1ショット105秒で撮られているが、消防車が現場へ向かうシーン、消火シーンなどは撮られていない。1899年3月17日、ニューヨークのウィンザーホテルで多数の死者を出す大火災がありニューヨークを拠点とする多くの映画会社がその廃墟を撮影したという経緯がありそうした事情が火事の映画が多く撮られた背景にあるのかもしれないがこの時期のそれらの作品は出動する、消火する、救出する、という職業運動のうちの1つしか撮られていない。
★「La Charcuterie mécanique(機械的な肉屋)」(1895)1ショット40秒
リュミエールによって撮られているこの作品は肉屋が設置した機械の中に豚を入れると中からソーセージが出てくるというコメディであり、ここにはエプロンをして作業を営む肉屋という職業人による職業運動が撮られている。ただここでの肉屋としての職業運動はコメディのために設定されたマクガフィンとしての性格が強く目的として撮られているのは肉屋の職業運動そのものではなくソーセージが出てくるというコメディである。
★「最後のカートリッジ(Les Dernières Cartouches)」(1897)1ショット60秒
フランスのジョルジュ・メリエスによって撮られているこの作品には普仏戦争において廃墟に立てこもったフランス軍の兵士たちが敵の砲撃で負傷し駆けつけた従軍看護師によって手当てされるまでが撮られている。ここでは戦士による職業運動が撮られており、怪我をする→手当てをされるという因果が撮られているが兵士たちが応戦している最中で終わっており起承転結の最後までは撮られていない。
■1ショット
警官と泥棒の職業運動ならば、盗むこと、逃げること、追いかけること、捕まえること、によって物語は完結し、消防士ならば、出動すること、消火すること、被災者を救出すること、戦士ならば、戦うこと、勝つこと、負けること、といった出来事によって物語は完結することになる。しかし創世記の映画はそこに生じている出来事の断片を1ショットで撮ることを常としており仮に「ラ・シオタ駅への列車の到着」(1895)を物語映画とするにしても1ショットで撮られた断片に物語の起承転結まで織り込むことは困難である
★因果の連結(起承転結)を1ショットで
「L’arroseur arrose’(水をかけられた水撒き人)」(1895.12.28)1ショット40秒
「列車の到着」と同時に公開され1ショット40秒で撮られているこのリュミエールの作品では花に水をやっている水撒き人のホースを子供が踏んづけてからその足を放し水撒き人の顔にホースの水が噴射され怒った水撒き人は逃げる子供を追いかけて捕まえている。仮に水撒き人の水を撒くという行動と少年のいたずらをするという行動を職業運動とするとここでは①水を撒くこと、いたずらすること、という職業運動と、②逃げることと追いかけること、③捕まえること、という3つの運動が撮られている。さり気ないコメディに見えるこの作品には職業運動における起承転結(因果の連鎖)の物語が1ショットで撮られていることになる。
★「La bonne absinthe(素晴らしいアブサン)」(1899) 1ショット55秒
1899年になりフランスの女性監督アリス・ガイによって撮られたこの作品では男がカフェで新聞を読みながら注文したアブサンを水で割ろうとして間違って自分の帽子の中に水を注ぎそうとは知らずにストレートで飲んだアブサンに覚醒してボーイに殴りかかるがソーダ水を顔に噴射され撃退されるまでの起承転結の物語が1ショット55秒で撮られ、
★「Santa Claus(サンタ・クロース)」(1898.9) 1ショット75秒
イギリスのジョージ・アルバート・スミスによって撮られているこの作品では 雪のクリスマスの夜、子供たちがメイドに促されてベッドに入ると煙突からサンタが入って来て靴下にプレゼントを入れて帰ってゆく物語が合成、トリックを交えながら1ショット75秒で撮られている。このあたりになると物語を起承転結で撮る欲求が見られるようになりそれを1ショットに込めることの限界が見え始めている。
■複数のショット
1898年になりエジソン社のジェームズ・H・ホワイトによって撮られている「Troops Embarking at San Francisco(サンフランシスコに上陸する軍隊)」(1898.6.22)では同一の場所が3ショットによって撮られておりイギリスのロバート・W・ポール「A switchback railway(スイッチバック鉄道)」(1898.7)でもまた同一の場所が複数のショットで撮られている。さらにロバート・W・ポールによって撮られた「Come Along, Do!(さぁ、一緒に行こう!)(1898.8)は複数の場所が複数のショットにより撮られた起源のひとつと言われているが視覚的細部表、あるいはショット数表の右から二番目の数字を見るとこの時期に複数のショット数による作品が現れ始めそれに伴い場所の転換という時間空間の拡がりが求められている。
★「L’Affaire Dreyfus(ドレフュス事件)」(1899.9)17ショット12分10秒
フランスのジョルジュ・メリエスによって現実に起きているドレフュス事件と並行して11回の短編に分けて撮られているこの作品は以下のように人間運動の物語が進んでゆく。現存しているのは11巻のうちの9巻である。
ドレフュスが筆跡を調べられ銃で自殺しろと脅かされる。
1筆跡を調べられ銃で自殺しろと脅かされる。
2収監された島の刑務所で手紙をもらう
3独房で足に鎖を付けられる。
4独房で自殺未遂を図る。
5裁判のため島から移送される。
6軍事刑務所で妻と再会する。
7弁護士が銃撃される
8ドレフュス支持派と反支持派のジャーナリストたちの乱闘
9軍事法廷で有罪となる
1回に平均すると2ショット弱で1分超となるが、それを場所の転換を伴いながら連続して続けることで人間運動の起承転結が余すことなく撮られている。SF作家としてのイメージの強いメリエスだがこの作品にはのちのフィルム・ダールを先取りするような「芸術性」が現れておりこうした物語を複数の短編に分けてでも語り尽くすという欲求が強く現れている。
★「Histoire d’un crime(ある犯罪の物語)」(1901.5)~5ショット5分
ショット数の増加によって物語の起承転結が余すことなく撮られる作品が登場してくる。フランスのフェルディナンド・ゼッカによって撮られているこの作品では男が強盗殺人を犯して逮捕されたあと刑務所でそれまでの人生を回想し処刑されるまでの職業運動の物語が5ショット5分によって撮られている(トリックによるカットは除く)。回想そのものは舞台にもう一つの舞台を作り同時に演じるもので1ショットで事足りているが強盗殺人→金庫を開けて金を奪う→酒場で逮捕される→被害者の死体を見せられる→回想→処刑、という場所的移動を伴う起承転結の出来事がショット数を増やすことによって撮られている。
■方法上の要請
1900年頃になると物語を撮るための方法的な欲求も見え始めて来る。
★切り返し
「Attack on a China Mission(中国伝道所襲撃)」(1900)~4ショット1分
イギリスのジェームス・ウィリアムソンがジョルジュ・メリエス「ドレフュス事件」(1899.9)に触発されて撮ったとされるこの4ショット60秒の作品は中国の修道院が義和団に襲撃された時に駆けつけた水兵たちが銃撃によって修道院を救うシーンが切り返しによって撮られており切り返しの起源が撮られた作品としてよく言及されている。この論文は切り返しについて検討するものではないのでそれについては視覚的細部表に譲るが切り返しを撮る以上ショットは最低2つ必要になりそれによって「修道院が義和団に襲撃されたが水平たちの銃撃によって守られた」という物語の起承転結が切り返しによる時間空間の拡張によってドラマチックに撮られている。
★主観ショット
「As Seen Through a Telescope(望遠鏡で見る) (1900.9)~3ショット1分
イギリスのジョージ・アルバート・スミスによって撮られたこの作品では女性の脚を望遠鏡の主観ショットで盗み見する男が3ショット1分により撮られている。女性の脚のショットだけでなくそれを覗き見する男が撮られて初めて覗きの物語が成立することから、アイリスによって囲まれた女の脚のショットだけでなくそれを覗いている男のショットという複数のショットが要請されることになる。それを別々のショットで撮り編集でつなぎ合わせることで主観ショットという覗き見のモンタージュが誕生している。同じくジョージ・アルバート・スミスが10ショット90秒で撮った「Grandma’s Reading Glass(おばあちゃんの老眼鏡)」(1900.11)ではアイリスに囲まれた新聞、懐中時計、鳥籠の鳥、右目、猫のクローズアップを老婆と孫のショットとつなげることで主観ショットという物語が撮られている。実際は別の場所で撮られているショットをあとから編集でつなげたものだが、対象のクローズアップだけが撮られるのではなく孫と祖母がそれを見るという物語が要請されそこから複数のショットが方法上必要となり主観ショットが生まれている。
★le trou de la serrure(鍵穴から見えるもの) (1901.5) ~7ショット2分
フランスのフェルディナンド・ゼッカのこの作品ではホテルのボーイがドアの鍵穴から客の様子を盗み見した主観ショットが切り返しによって撮られている。ゼッカは「Ce que je vois de mon sixième(第六区で見えること)」(1901)でも望遠鏡による主観ショットの覗き見を撮っておりこれらの主観ショットは切り返しの過程として撮られていることからどちらの作品も複数のショットが必要となりショット数はそれぞれ7、6、となっている。
★カッティング・イン・アクション
「Mary Jane’s Mishap(メアリー・ジェーンの災難)」(1903.2)~13ショット4分40秒
これもまたイギリスのジョージ・アルバート・スミスによって撮られているこの作品では1908年にデビューしたD・W・グリフィス作品にも中々見ることのできないカッティング・イン・アクションが撮られている。カッティング・イン・アクションは被写体の動作をカットを割ってキャメラが寄ったり引いたりして撮られたショットが編集でつなげられることから複数のショットが必要となる。ただ、これだけ見事に撮られていながらカッティング・イン・アクションは初期映画の世界ではその後まったく見られなくなる。
■活劇の「起源」
「Fire! (火事!)」(1901.10.15)6ショット5分
イギリスのジェームス・ウィリアムソンによって撮られているこの作品では火事を発見した消防士が消防署に戻って消防車を出動させ、消防車が現場へ向かい、現場のアパートの二階で煙に巻かれている男の部屋に消防士が窓から入って消火し、男を抱えて梯子から救出し、救出された男が「中に娘がいる!」とうろたえると中から消防士に抱き抱えられた娘が救出され、さらに救出が終わったと思い消防士が梯子を外すと二階の窓からパジャマ姿の男が現れ消防士たちが下で拡げたマットの上に飛び降りて救出される、という実に込み入った物語が6ショットによって撮られている。①消防車が出動して現場へ向かうというドキュメンタリー的部分だけでなく、②現場へ駆けつけ消火すること、③住人たちを救出することという完成された職業運動の起承転結の物語が場所を変えた複数のショット(ロケーションとセット)によって撮られているこの作品は分解されたショットとショットかつながれることのリズムとサスペンスを実現させており、すべてスタジオで撮られている「Histoire d’un crime(ある犯罪の物語)」(1901.5)とは違い多くをロケーションの生々しい空気の中で撮られていた活劇の「起源」と見做されるべき作品である。この作品から大きなヒントを得て撮られたのがアメリカのエドゥイン・S・ポーター「アメリカ消防夫の生活(Life of an American Fireman)」(1902.1)であり、設定、構図、運動等において「火事」からの引用(剽窃)であることからポーターの作品について語る前に映画史はまずこの「火事」について(あるいはもっと遡るかも知れないが)言及しなければならない。
★「アメリカ消防夫の生活(Life of an American Fireman)」(1902.1)18ショット4分
エジソン社のエドゥイン・S・ポーターによって「火事」が「リメイク」されたこの作品もまた「火事!」と同じく①消防車が出動して現場へ向かうこと②現場へ駆けつけ消火すること③住人たちを救出することという消防士たちの職業運動の起承転結がロケーションで撮られていてキャメラのアングル、サイズ、室内の作りなど基本的に「火事」と同じに撮られている。違いは、燃えているアパートの中と外とのあいだでカットが何度も転換され、そこに切り返しも含まれていること、そうした視点の転換により「火事!の5分で6ショットから6分で18ショットと増えていることなどであり、物語構造はまったく同じだが消防士の手慣れた救出活動がより丹念に撮られている(切り返しその他詳細は視覚的細部表に譲る)ことにおいて「火事」を一歩進めている。
★「Cork Fire Brigade Turning Out(コーク消防隊出動)」(1902)
「アメリカ消防夫の生活」(1902.1)と前後関係は不明だがイギリスで撮られた作者不明のこの作品でもまた①消防車が出動する②救出する③消火する、という起承転結の職業運動の活劇がドキュメンタリータッチの3分3ショットで撮られている。
★「THE CAPTURE OF THE BIDDLE BROTHERS(ビドル兄弟の逮捕)」(1902.2)
エドゥイン・S・ポーターによって撮られたこの作品は1902年1月30日にソッフェル夫人の助けを借りてピッツバーグ刑務所から脱獄したビドル兄弟の実話の映画化であり、兄弟と夫人と共に雪原を馬車で逃げているところへ向こうからやってきた保安官たちと銃撃戦になり逮捕されるという1ショット2分のドキュメンタリータッチの作品である。1ショットながら①保安官とお尋ね者たちの銃撃戦、②逮捕、の職業運動が活劇として撮られている。
■「大列車強盗(The Great Train Robbery)」(1903.12.7)~14ショット
ここでアメリカのエジソン社エドゥイン・S・ポーターによって撮られた「大列車強盗」を検討する。この作品は「アメリカ消防夫の生活」(1902.1)と共に物語映画の起源として挙げられる作品であり映画の教科書には必ず登場する作品でもある。列車を襲った強盗団を街の者たちが追跡して射殺するという出来事が12分14ショットにおいて撮られたフィクション映画であり①盗むこと、②逃げることと追いかけること、③捕まえること(射殺すること)、という職業運動の起承転結による活劇がロケーションを主として、殴る、投げる、撃つ、逃げる、追いかける、といった多くのアクションによって撮られている。
■「大列車強盗」(1903.12.7)以前
★「A Daring Daylight Burglary(大胆な真昼の強盗)」(1903.4)10ショット4分。
イギリスのフランク・モッターショーによって「大列車強盗」の8カ月ほど前に公開され「大列車強盗」に影響を与えたと言われているこの作品では強盗たちを警官が捕まえるという職業運動が4分10ショットによって撮られている。ここには①盗むこと、②逃げることと追いかけること、③捕まえること、という職業運動の起承転結による活劇が主にロケーションによって撮られているが、この三つの運動が一度に撮られた作品はこれまで見当たらないことからこの「大胆な真昼の強盗」がその「起源」となる。
★「A Desperate Poaching Affray(絶望的な密漁事件)」(1903.7) 7ショット2分30秒
「大胆な真昼の強盗」の同年、それに触発されたかのように撮られ「大列車強盗」の5か月ほど前に公開されているイギリス人のウィリアム・ハガーによるこの作品は「大胆な真昼の強盗」と共に初期の物語劇に影響を与えたとされている密漁事件の追跡劇であり、密漁者が逃げること、警官たちが追いかけること、捕まえること、という活劇がロケーションによって撮られている。
★強盗という職業運動について
「大胆な真昼の強盗」では最初のショットで強盗が塀を乗り越えて庭に侵入し窓枠をはずして屋敷へ侵入するという手慣れた侵入行為が撮られているが強盗としての職業運動はこの1ショットしか撮られておらず、「絶望的な密漁事件」においてはそもそも密漁しているシーンが撮られておらずいきなり密猟者たちが逃げることから映画は始まっている。それに対して「大列車強盗」は①駅員を殴って縛り上げ、②列車を待伏せて乗り込み、③車掌を撃ち殺して金庫を爆破して金を奪い、④抵抗する機関士を列車の外に放り投げて列車を停止させ、⑤もう一人の機関士に列車を切り離させて待機し、⑥別のグループが乗客たちを降ろしてホールドアップさせ金品を奪い逃げた乗客を撃ち殺し、⑦切り離して待機している列車に乗ってその場を立ち去ったあと、⑧列車を乗り捨て、⑨予め林の木につないでおいた馬に乗り換えて逃走するまでの強盗たちの職業運動が9ショットにわたって撮られている。かつ、それらの職業運動は、列車を待ち伏せ、切り離しておいた汽車で逃走し、予め林の中の木につないでおいた馬に乗り換え逃走するという運動が指し示すようにすべて事前に計画された通りに何らの躊躇も淀みもしくじりもやり直しもなく遂行されており、強盗シーンが1ショットしか撮られていない「大胆な真昼の強盗」、密漁シーンが1ショットも撮られていない「絶望的な密漁事件」に比べて強盗という職業運動が執拗に反復されて撮られている。
★「アメリカ消防夫の生活」(1902.1)
ここでもう一度ジェームス・ウィリアムソン「火事!」(1901.10.15) とエドゥイン・S・ポーター「アメリカ消防夫の生活」(1902.1)を比べて見ると、消防士が現場へ到着してから消防士たちが消火し、救出するといった職業運動は、「火事」が5分6ショットの中で2ショット撮られているのに対して4分18ショットの「アメリカ消防夫の生活」では11ショット撮られている。ポーターは出火しているアパートの中と外とにショットを細かく分析させることで消防士たちの手慣れた職業運動を幾つものショットに反復させて撮っているのであり、題名が「火事」に対して「アメリカ消防夫の生活」であるように、後者は消防士たちの職業運動そのものを目的としてフィルムに収めている。確かに「火事!」には消防士が火事を発見し、消防車を出動させ、消火し、救出するという手慣れた職業運動の反復と起承転結が撮られており職業運動の常習犯を撮った「起源」と目すべき作品だが「アメリカ消防夫の生活」はさらにその職業運動を複数のショットで反復して撮ることで手慣れた職業運動=常習性=のさらなる段階へと到達している。こうしたポーターの性質がそのまま「大列車強盗」(1903)へと継続しポーターはそれによって職業運動における常習犯の運動を反復させてフィルムに収めている。ポーターは「Uncle Tom's Cabin(アンクルトムの小屋)」(1903.8.3)「大列車強盗」(1903.12.7)「The Miller's Daughter(粉屋の娘)」(1905.11.6)「Kathleen Mavourneen(愛しのキャスリ-ン)」(1906.8)などの作品で物語とは直接関係のないダンスシーンを延々と撮り続けているが気に入ったひとつの出来事を物語の流れから逸脱してでも延々と撮ることのできる傾向が職業運動の反復という常習犯的運動を撮らせている。
★逃げることと追いかけること
ここでもう一度「大胆な真昼の強盗」の職業運動について見ると、強盗たちは家屋に浸入するという強盗としての純粋な職業運動が1ショットだけ撮られた後、屋根の上で警官と格闘して警官を屋根から突き落とし、路上で追いかけて来た警官を払いのけて逃走している。警官を振り払って逃げ続ける強盗の「逃げること」という行為は強盗することに付随する職務行為であり彼を追いかけ捕まえる警官の「追いかけること」という行為もまた警官の職務行為と見ることが出来る。さらに彼らは、斜面を駆け下り、飛び石を飛び越えて小川を渡っている。障害物競走にも似たこの運動は、逃げることと追いかけることの切羽詰まった過程でなされることにより平地を駆け抜けるのとは違った筋肉を使い、しくじれば転げ落ちたり川に落ちたりする危険と隣り合わせの状況からのおっかなびっくりの回避行動が職業的スキルから逸脱して戸惑いの様相を呈しながら滑稽な運動となって現れている。さらにその障害物競走は画面の奥から現れた彼らがキャメラへ向かって走って来てキャメラの横を通り過ぎるまでの運動によって撮られている。こうして彼らの逃げることと追いかけることの運動は、遠くから延々と走り続けて来てキャメラの横を通り過ぎるというショット内モンタージュの運動に障害物競走という非スキル運動が加わることで強盗することの職業的スキル運動から解き放たれ、逃げること、追いかけることの非スキル運動へと巻き込まれ露呈することになる(非スキル運動は過剰な細部として職業運動のスキルに基づく常識的因果関係の連鎖から解き放たれて露呈する)。密漁という主たる職務行為が撮られていない「絶望的な密漁事件」ではこうした傾向が加速し、①最初のショットからいきなり密漁者たちが柵を乗り越えて逃げることの障害物競走と、彼らを猟師や警官たちが追いかけることから始まり、さらにそこでは犬を交えてみんなで追いかけることが撮られ、②次のショットでは画面の奥から現れて銃を撃ちながら逃走する密漁者と追跡者たちが画面の奥から走って来て1ショットでキャメラの横を通り過ぎ(これが「追っかけ」)、③次のショットでは森の中で格闘した後キャメラの横を通り過ぎて逃走し、④次のショットでなだらかな坂道を双方が銃を撃ちながら画面の奥へ駆け上り、⑤次のショットで川へ飛びこんで格闘した後、⑥次のショットでまたキャメラの横を通り過ぎて逃走し、⑦最後に小川を横切る時に捕まるまでの逃げることと追いかけることが全7ショットによって撮られている。その過程における柵を乗り越え、川に落ちて格闘するという運動もまた障害物競走に似た非スキル運動として撮られており、さらに銃の煙が画面を覆い、川で格闘するとき意図的に水しぶきを激しく上げて飛び込んでいる運動は職業運動としての逃げること、追いかけること、捕まえること、から逸脱した過剰な細部として露呈している。撮られているのは逃げることと追いかけること、障害物競走、銃の煙を吹きだすこと、水しぶきを上げることであり、撮られていない密漁という職務行為はその後の逃げること、追いかけることを起動させるためのマクガフィンに過ぎない。「大列車強盗」でも強盗団たちが斜面を駆け下り飛び石を飛び越えるシーンが撮られているがここでは彼らは逃げているだけで追いかけられてはおらずまたロングショットで撮られたそのシーンに滑稽なイメージは希薄である。「大列車強盗」の殆どのショットは強盗することの職業運動に費やされ逃走と追跡が同時に撮られたのは終盤、馬で逃げる強盗団と追いかける自警団がキャメラの横を通り過ぎるまでが持続して撮られている1ショットしかない(「追っかけ」)。「大列車強盗」は強盗することの職業運動そのものが撮られた映画であるのに対して「大胆な真昼の強盗」と「絶望的な密漁事件」は職業運動を仮構した逃げることと追いかけることの非スキル運動の撮られた映画であり職業運動はマクガフィンに過ぎないという傾向を有している。
★「The Pickpocket(スリ)」(1903.11) 12ショット3分30秒
「大列車強盗」(1903)がアメリカで封切られる1月ほど前にイギリスで封切られているアルフ・コリンズのこの作品には①スリが通行人から財布を盗む②逃げるスリを警官たちが追いかける③捕まえるという職業運動の起承転結が撮られている。しかしここでもスリと警官たちは、窓をくぐり抜け、塀を乗り越え、消火栓を飛び越え、積まれた木材を登るという過剰な障害物競走をしている。特にスリが消火栓を飛び越えて逃げる時、跳び箱を飛ぶように跨いでジャンプしてからキャメラの横を通り過ぎ、さらにそのショットの中で警官のみならず何の関係もない男たちや子供たちまでもが一緒にスリを追いかけ、かつみんな笑いながらキャメラの横を通り過ぎている。「2作品」をさらに推し進め(以下「2作品」とは「大胆な真昼の強盗」と「絶望的な密漁事件」(を指す)、画面の奥から走って来てキャメラの横を通り過ぎる運動は1ショットしか撮られていないものの追跡運動が多く撮られ、さらに跳び箱のようなスラップスティック的スキル喪失運動としての障害物競走と「笑ってみんなで(関係ない者たちまで)追いかけること」という滑稽な出来事が混じり込んだ「起源」としてあるこの作品は職業運動を仮構した非スキル運動=巻き込まれ運動として現われている。
★「追っかけ」
「2作品」と「スリ」では逃げることと追いかけることとのショット内モンタージュが撮られその中の幾つかには障害物競走が加わり滑稽な運動として現れている。以降、逃げて来た者とそれを追いかける者たちとが画面の奥から走って来てキャメラの横を通り過ぎてゆく運動を「追っかけ」として検討するが、「ラ・シオタ駅への列車の到着」(1895)、「工場の出口」(1895)において汽車、労働者が画面の奥から手前にやって来てキャメラの横を通り過ぎてゆくショット内モンタージュの運動から映画の歴史が始まったように「追っかけ」もまた画面の奥からキャメラへ向かって人が走ってくるショット内モンタージュとキャメラの横を通り過ぎる運動によって成り立っている。ショット内モンタージュについてはD・W・グリフィス論文等で検討しているが「大胆な真昼の強盗」(1903.4)、「絶望的な密漁事件」(1903.7)においてはこのショット内モンタージュによる「追っかけ」障害物競走が目的として撮られておりそのショットは多くの場合キャメラの横を通り過ぎる運動によって終わっている。「追っかけ」はそれが障害物競走とセットになるとき職業運動のスキルから逸脱したスキル喪失の滑稽な運動となって現れてくる。「大胆な真昼の強盗」(1903.4)は、「追っかけ」を画面の奥からのショット内モンタージュと障害物競走によって目的化させそれを3ショット反復させたことにおいてその後、世界中で流行する「追っかけ」の原型となっている(「追っかけ」の「起源」については「泥棒を止めろ!」(1901.10.15)で検討する)。
★非常識的因果関係と「追っかけ」
「追っかけ」が目的として撮られるときその運動は非常識的因果関係の流れとなる。①泥棒する、②逃げる、追いかける③捕まえる、という起承転結の因果関係がある場合、②の「追っかけ」が目的になると①は②を引き起こすためのマクガフィンとなり③は蛇足ということになり①→②→③の因果関係が崩壊し②だけが露呈する。しかしそれでは物語が成り立たないので②の「追っかけ」を①の職業運動に仮構させ③を付け加えることで物語として成り立たせる、それが「大胆な真昼の強盗」(1903.4)「絶望的な密漁事件」(1903.7)「スリ」(1903.11)という作品の運動の質であり、①→②→③の常識的因果関係における職業運動の反復を目的とした「アメリカ消防夫の生活」(1902.1)「大列車強盗」(1903.12.7)といった作品とは質的に大きく異なっている。
■「追っかけ」の「起源」
★「The Miller and the Sweep(粉屋と煙突掃除人) (1897.7) 1ショット30秒
「2作品」からさらに遡りイギリスのジョージ・アルバート・スミスによって1897年に撮られているこの作品には大きな風車の前に白い服で白い袋を担いで歩いてきた粉屋が黒ずくめの煙突掃除人と肩がぶつかり怒った粉屋は白い袋で掃除人を殴って白い粉を撒き散らし煙突掃除人はタックルをかまして粉攻撃を防ごうとするが叶わず真っ白になりこれはかなわんと逃げた煙突掃除人を粉屋が追いかけ2人とも画面の左へ消えて行くという運動が撮られている。さらにこの30秒余りの1ショットの作品では粉屋と煙突清掃人が左の画面の外へ消えたあと画面の右からエプロンをした女や子供たちが現れ粉屋と煙突清掃人をみんなで追いかけて画面の左へ消えてゆき映画はそれで終わっている。ここには①殴り合うこと②逃げることと追いかけること③みんなで追いかけること、という3つの運動が撮られているが①粉屋、煙突掃除人という職業は白い粉を画面に撒き散らすためのマクガフィンに過ぎず、さらに③で粉屋と煙突掃除人を追いかけている男女子供たちに追いかける理由はないので無意味な運動ということになる。よく見ると粉屋も後ろから追って来る女子供たちを振り返って逃げるように走り出していることからすると③の男女子供たちはこの風車の管理人家族か何かで風車の前で粉を撒き散らしている2人を捕まえるために(あるいは蹴散らすために)追いかけているのかもしれない。「粉屋と煙突掃除人」の①殴り合うことは「絶望的な密漁事件」の密漁という職業と同じように粉屋と煙突掃除人の手慣れた職業運動それ自体を撮ることが目的でなくそれによって2人が撒き散らされた粉で真っ白になることとその後の③みんなで追いかけることを惹き起こすために撮られているのであり、さらにその③で追いかけている者たちは粉屋と煙突掃除人を捕まえようとしているような走り方をしておらず追いかけることそのものを楽しんでいるような動物的運動感に満ち溢れている。「2作品」の③が曲がりなりにも「捕まえること」をしているのに対してここでの③は捕まえることへと向けられた運動には見えず追いかけること、みんなで走ることそのこととを目的として撮られていて「捕まえること」とは撮られていない。この追跡はキャメラの前を横切る運動でありショット内モンタージュとしての「追っかけ」ではないものの、逃げること、追いかけることを目的として撮られた運動の「起源」としてある。
★「La bonne absinthe(素晴らしいアブサン)」(1899)
既に検討したフランスのアリス・ガイによって撮られているこの作品ではアブサンを飲んで錯乱状態になった客の顔にバーテンがソーダ水をひっかけ2人で画面の左へ消えて行ったあと、それを見ていた女の子たちが2人の男たちを笑って追いかけてゆくというシーンが撮られている。これもまた「粉屋と煙突掃除人」(1897.7)と同じように、まるで走っている物体を反射的に追いかけてゆく犬のように殆ど自動的に(動物的に)追いかけている。この追いかけることは、既に検討したこの作品における起承転結の物語が終わった後の出来事であり追いかけることそのことが目的として撮られている。
★「L‘Affaire Dreyfus(ドレフュス事件)」(1899.9)
これもまた既に検討したジョルジュ・メリエスによって撮られているドキュメンタリータッチの物語だが、ここで終盤の8ショット目、ドリュファスの支持派と反支持派のジャーナリスト達の乱闘が撮られた後、彼らは笑いながら走ってキャメラの横を通り過ぎている。シリアスな物語の過程において笑いながらキャメラの横を通り過ぎるというこの運動は物語の因果から逸脱しているがゆえにやたらと目立っている。
★「Stop Thief(泥棒を止めろ!)」(1901.10.15)2ショット
イギリスのジェームス・ウィリアムソンによって「2作品」より前の1901年に撮られているこの作品では通りすがりの職人から小羊の脚を奪った泥棒(サム・ダルトン)が犬と職人に追いかけられて空き地の樽の中に隠れたところ犬たちにみつかり職人に捕まって格闘になるまでが撮られている。ここでは①盗むこと②逃げること(隠れること)と追いかけること③格闘することが撮られているが、③においても職業運動の起承転結に必要な「捕まえること」が撮られておらず格闘している最中で終わっていることから目的として撮られているのは犬を含めてみんなで追いかけることと泥棒が樽の中に隠れることと犬たちがそれを発見することという荒唐無稽のアクションであり①は②を引き起こすためのマクガフィンということになる。ここでは逃げることと追いかけることとが短いショットながらも斜めの構図で撮られた路地の向こうから泥棒が走って来てキャメラの横を通り過ぎまた二匹の犬がやって来てキャメラの横を通り過ぎさらに職人がやって来てキャメラの横を通り過ぎてゆくという3つのショット内モンタージュによって撮られている。「粉屋と煙突掃除人」(1897.7)を「起源」とする逃げること、みんなで追いかけることを目的とする運動が、ここで初めて、みんなで追いかけること、ショット内モンタージュ、キャメラの横を通り過ぎること、という3つの運動が融合し「追っかけ」としての姿を現している(「追っかけ」の「起源」)。さらにこの泥棒はそのいでたちや歩き方から疲れた浮浪者という感じで泥棒としての職業人ではないことから①盗むことは職業運動ではなく②逃げること、樽の中に隠れることにおいても浮浪者はそのスキルを有してはおらず、肉屋もまた追いかけることのスキルを有していないことから、追いかけるスキルを有している犬を除けばスキルを喪失した巻き込まれ運動が撮られていることになる。
★ここで紹介した「追っかけ」の原型的な作品は多くの場合、物語とは何の関係もないところでいきなり追跡行動が始まり、あるいは笑いながらキャメラの横を通り過ぎている。ここには走ることにおける物語から解き放たれた運動を見ることができる。
■ショット内モンタージュ
グリフィス論文第一章の冒頭には『リュミエール「ラ・シオタ駅への列車の到着」(1895)と「工場の出口」(1895)は共に汽車、労働者が奥から手前のキャメラへ向かって移動して来るショット内モンタージュによって撮られている。ゴダールが遺作(?)「ジャン=リュック・ゴダール/遺言 奇妙な戦争 奇妙な戦争」(2023)で「アワーミュージック(Notre musique)」(2004.5.19)のオルガという女性がキャメラへ向かってクローズアップになるまで歩いて来るショット内モンタージュを引用しているが、モーションピクチャーの運動はこのショット内モンタージュに始まる。』に書かれている。「ラ・シオタ駅への列車の到着」(1895)は遥か彼方から汽車が走って来てホームに入って来てキャメラの横を通り過ぎてゆく運動が撮られ「工場の出口」(1895)では工場の奥から次々と労働者が現れてはキャメラの横を通り過ぎてゆく運動が撮られている。「工場の出口」の出口とは工場の門のことでありその門は出口という門だけではなく入口という門でもあるはずだがそれが工場の入口ではなく工場の出口として撮られているのは労働者たちが門の中へ入って行くのではなく門の中から出てくる様子が撮られているからであり、それはあたかも列車の発車場所でもあり到着場所でもあるはずのホームをして「列車の発車」ではなく「列車の到着」として撮る傾向と通底している。運動の向きによって初めて工場の門は「出口」となり列車のホームは「到着駅」になるのでありモーションピクチャー発生の時点でリュミエール兄弟は運動の質を映画の主題に関連させて撮っている。「列車の到着」を見た観客が驚いて逃げたという実話とも都市伝説とも言われる出来事は列車がショット内モンタージュによって接近して来ることによって引き起こされた驚きでありそこにモーションピクチャーにおける運動の=活劇の萌芽があるように見える。リュミエールのキャメラマン、アレクサンドル・プロミオによって撮られた世界初の移動撮影と言われている「Panorama du grand canal pris d'un bateau(船から撮影された大運河のパノラマ)」(1896.10.25)では川をゆくゴンドラの上から撮影された陸とその建物、やってくるゴンドラ、遊覧船などが次々とショット内モンタージュでキャメラの横を通り過ぎてゆく運動が1ショットで撮られているがここに「移動」とはショット内モンタージュであることが示されている。「追っかけ」はこのショット内モンタージュの運動に人間の逃走と追跡のアクションを付け加え彼らが遥か彼方から走って来てキャメラの横を通り過ぎてゆくアクションへと転化させている。初めての移動撮影である「Panorama du grand canal pris d’un bateau(船から撮影された大運河のパノラマ)」(1896.10.25)では遊覧船やゴンドラ、そして陸の大きな建物たちが次々とショット内モンタージュでキャメラの横を通り過ぎてゆき「火事に向かう」(1896.11.14) 「ニューヨーク州アルバニー消防署」(1901)、「コーク消防隊出動」(1902)では画面の奥から現れた消防馬車が何台もキャメラの横を通り過ぎて行き、また「ニューヨーク州アルバニー消防署」では子供たちが笑いながらキャメラの前を横切り、また自転車で少年が自転車で追いかけてキャメラの横を通り過ぎている。さらに「火事!」(1901.10.15) 、「アメリカ消防夫の生活」(1902.1)においても消防車がショット内モンタージュでキャメラの横を通り過ぎる運動が撮られている。こうして映画の始まりから受け継がれて来たショット内モンタージュは職業運動や「追っかけ」という活劇においてその運動を刻むことになる。
■二つの運動
ここに職業的物語映画における大きな二つの運動が見られている。ひとつは「アメリカ消防夫の生活」「大列車強盗」のような手慣れた職業運動であり、もうひとつは職業運動に付随する逃げること、追いかけることを目的する非職業的「追っかけ」障害物競走である。前者は①盗むこと②逃げることと追いかけること③捕まえることの起承転結からなる因果的スキル運動であり、後者は①盗むこと等の職業運動をマクガフィンとしながら②逃げること、追いかけることを目的としている非因果的スキル喪失運動である。また前者は「火事!」(1901.10.15) 「アメリカ消防夫の生活」(1902.1)による徹底した職業運動の反復から派生し、後者は「ラ・シオタ駅への列車の到着」(1895)、「工場の出口」(1895)を「起源」とするショット内モンタージュから派生している。
■スラップスティック=障害物競走
用語辞典に「スラップスティックコメディ」とは道具の使い方を知らない者たちによる運動とある。盗むのはモノが欲しいからではなく逃げるため、斜面は転げ落ちるため、帽子はかぶるためではなく投げるため、椅子は座るためではなく人を殴るため、、というように、道具その他を本来の機能からかけ離れた使い方をすることにより現れる滑稽、それがスラップスティックコメディであり、機能から離れた運動であることからそれに熟練している職業は障害物競走の選手、サーカス、マジシャンといった芸人くらいでしかなくスラップスティックコメディは本質的に非スキル運動と直結している。その中でも障害物競走は「追っかけ」という運動と連動することで滑稽さが増幅し仮に職業運動に長けた警官、泥棒などであってもひとたび障害物競走の世界に放り込まれればスキル喪失の吃音的巻き込まれ運動へと接近するのであり障害物競走の有無はこの時期の作品の運動の質を見るうえで重要な細部として現れている。対して「大列車強盗」に撮られているのは強盗団のハワード・ホークス的「前科6犯」の常習犯であり、滑稽ではなく熟練、吃音ではなく持続の滑らかさであり、そこから逸脱して銃の煙が画面を真っ白に覆いつくしたり水しぶきが大きく弾け飛んだりするような過剰な細部は撮られていない。
★スラップスティックコメディ
スラップスティックコメディは初期映画において早くから撮られている。
「水をかけられた水撒き人)」(1895.12.28)1ショット
水は草花でなく顔にかけるため
「Sur les toits(屋根の上)」(1897) ジョルジュ・メリエス 1ショット
屋根は人が広げ落ちるため
「Pillow Fight(枕投げ合戦)」(1897.5.24)エジソン・ウィリアム・ハイセ 1ショット 枕は羽を撒き散らすため
「The Miller and the Sweep(粉屋と煙突掃除人) (1897.7) ジョージ・アルバート・スミス 1ショット
粉屋は粉を撒き散らすため
「Au cabaret(キャバレー)」(1899)アリス・ガイ 1ショット
喧嘩はテーブルをひっくり返して無関係な男をひっくり返すため。
「素晴らしいアブサン)」(1899)アリス・ガイ 1ショット
ソーダ水は顔にかけるため、帽子は水を注ぐため
「Poker At Dawson City(ドーソンシティにおけるポーカー)」(1899.2)ジェームズ・H・ホワイト 1ショット ソーダ水は顔にかけるため。
「A Wringing Good Joke(絞るような良いジョーク)」(1899.4)ジェームズ・H・ホワイト 1ショット
洗濯絞り機はひもを引っ張って椅子を転がすため、椅子は人が転げ落ちるため
「Explosion of a Motor Car (自動車の爆発)」(1900.7)英 セシル・ヘップワース 1ショット 車は爆発して乗っている者たちを吹き飛ばすため
「How It Feels To Be Run Over(轢かれた時の気持ち)(1900.7)セシル・ヘップワース 1ショット キャメラは車をぶつけるため
「All on Account of Eliza(すべてはエリザのせい)」(1902)不明・ルービン社 1ショット 二階は人が落下するため、犬は大砲の中に入れて撃たれるため。
★ジャンル
1ショットの時代にスラップスティックコメディは生まれている。スラップスティックコメディとは本来的に逆因果関係であり泥棒したから逃げるのではく逃げるために泥棒する、という回路で運動が始まることから物語の常識的因果関係には馴染まない運動としてある。だからこそスラップスティックコメディは1ショットの時代において既にひとつのジャンルを形成しつつあるのであり本来的にスラップスティックコメディは因果的物語を必要としない1ショットで撮られる運動としてある。そこに逃げることと追いかけることを内包する物語があればそれによってスラップスティックコメディはジャンルとしての物語を得ることができる。「2作品」における強盗、密漁などはその典型であり1ショットでも事足りるスラップスティックコメディが職業運動を仮構することによって物語を得た、それが「追っかけ」障害物競走でありここに職業運動をマクガフィンとした「追っかけ」というジャンルが登場している。
★強いマクガフィンと非常識的因果関係
「大列車強盗」は①盗むことによって②逃げることと追いかけることが起動し③捕まえることに帰結するが、職業運動が目的として撮られているために①は②③を惹き起こすマクガフィンでありながらそれ自体が目的でもありそのマクガフィンは半分の強さでしかないのに対して②が目的として撮られている「大胆な真昼の強盗」などの①はそれが目的ではないために(あるいはその目的性が弱いために)マクガフィン的性質はより強くなる。それによって惹き起こされる物語の流れは、①ゆえに②が惹き起こされる、という我々の慣れ親しんでいる起承転結の常識的因果的物語を仮構しながらもそれと同時に、②のために①がある、という逆因果関係の非常識的因果関係を指し示すことになる。マクガフィンが強くなるとそれによって引き起こされる運動が物語の常識的因果関係から切り離されて独立化しそのこととして露呈する。それが(職業運動を仮構しながらも)「追っかけ」を目的として撮られた運動であり、さらに道具の使い方を知らない逆因果関係を本質とするスラップスティックコメディが付け加わることで「追っかけ」障害物競走は職業運動とは異質のジャンルとして現れてくる。ただ「2作品」等は職業運動を仮構していることからその流れは一見①泥棒する→②だから逃げる、追いかける、となり、違和感のない常識的因果の流れのように見えるが画面に現れているのは過剰なまでの逃げることと追いかけることであり、観念的には①泥棒する→②だから逃げる、追いかけるという常識的因果関係であっても視覚的には②逃げるために①泥棒する、という逆の流れになっている。
★目的として撮られているとは~露呈する
その運動が常識的因果関係から切り離されて撮られているか否かはその運動が過剰か否かによって現れてくる。「追っかけ」は逃げる者と追いかける者とが画面の遠くからキャメラへ向かって時間差で延々と走って来てキャメラの横を通り過ぎるという運動それ自体が過剰性を示しており、障害物競走は人が平たんな一本道ではなく障害物を滑稽な運動によって切り抜けることにおいて過剰さを露呈させている。目的として撮られているのが②だとすると、①だから②、②ゆえに③という①→②→③の因果関係の流れから②が前後の理由を失って抜け出してしまいそのこととして露呈する。それが「追っかけ」障害物競走である。
★動物的
仮に「追っかけ」で追いかけている者の運動が職業運動であったとしても彼らの存在は逃げること、追いかけることを起動させるためのマクガフィンに過ぎないことから人間味が失われて動物的になる。強いマクガフィンによって露呈した運動は仮に人間の運動であっても動物化する。ヒッチコックの巻き込まれ映画の主人公たちに何かしら人間味(暖かさ)が欠けているのはそのためである。
★スキルと「追っかけ」障害物競走との関係
「追っかけ」は走ることそれ自体は非スキル運動ではないにしても延々と走らされることで息切れというスキル喪失運動をもたらすことになり、障害物競走は基本的にスラップスティックコメディでありそれ自体が多くの場合非スキル運動となる。
★因果関係との関係
「追っかけ」はそれが目的として撮られているとき強いマクガフィンによって発動される非常識的因果関係となるが職業運動を仮構しているとき運動論的には逃げるために泥棒する、といった逆因果関係=非常識的因果関係であっても観念的には常識的因果関係を装うことになり、あらすじにおいても「泥棒したから逃げる」と書かれることになる。障害物競走はスラップスティックコメディであることから「飛び越えるために飛び石が置かれている」というような非常識的因果関係となるが職業運動に仮構された場合「飛び石があるので飛び越える」という常識的因果関係が仮構される。「大列車強盗」(1903.12.7)は「大胆な真昼の強盗」(1903.4)における斜面、飛び石のシーンを模倣しながらそれをロングショット等で緩和して撮ることで障害物競走の性質が弱められている。
■活劇
活劇の「起源」は職業運動なら「Footpads(追いはぎたち)」(1895.5)、スラップスティックコメディなら「水をかけられた水撒き人」(1895.12.28)などにすでにその始まりを見ることができるがひとつの物語の起承転結の過程における運動としての活劇は「火事!」(1901.10.15) あたりをその「起源」として見ることができる(「起源」は常に更新されることを前提とする概念なのでそれ自体は重要ではない)。1901年にイギリスで撮られた「火事!」によって消防士が出動→消火→救出という因起承転結の活劇が撮られ1902年にはアメリカでその「火事」の職業運動を反復させる常習犯として「アメリカ消防夫の生活」(1902.1)がポーターによって撮られる。1903年にはイギリスで職業運動に仮構する「追っかけ」障害物競走が「大胆な真昼の強盗」(1903.4)と「絶望的な密漁事件」(1903.7)によって撮られるとふたたびアメリカでポーターによって職業運動を反復させる常習犯の「大列車強盗」(1903.12.7)が撮られる。そこには徹底したロケーション撮影における奪うこと、逃げること、追いかけること、殴ること、蹴ること、投げること、撃つこと、転がること、飛び跳ねること、といったアクションの数々が多くのショットにおける人と人とのあいだの関係として撮られている。これらを初期映画で撮られているアクション性には欠ける人間ドラマに対して活劇と定義することにしてこれからはその活劇について検討することになる。山根貞男は「活劇の行方」の中で活劇とはよくわからないと前置きしながらもその例としてチャンバラ映画、アクション映画、ドタバタ喜劇などを挙げているが(10頁以下)、犯罪における職業運動の反復とショット内モンタージュを基軸とした「追っかけ」障害物競走はそれぞれ運動の質を異にしながらも活劇たるにふさわしい運動性をしたためたジャンルとして1901年から3年にかけて物語の起承転結を携えながら一気に芽生えている。前者はひたすら反復される職業運動が目的として撮られる活劇であり、後者はそれまでの汽車や消防車のショット内モンタージュを人間の走ることのショット内モンタージュに転換させた「追っかけ」を目的とする活劇である。
■1901年~1903年を振り返る
ここで「火事!」(1901.10.15) の撮られた1901年から「大列車強盗」(1903.12.7)と「大胆な真昼の強盗」(1903.4)「絶望的な密漁事件」(1903.7)の撮られた1903年までを時系列で簡単に振り返ってみる。
■職業運動の常習犯が撮られている作品
★「追っかけ」が撮られている作品。
●障害物競走が撮られている作品。
▲笑って追いかけることが撮られている作品
赤の題名は純粋な巻き込まれ運動。
ここに書かれていることは『「追っかけ」表』にも提示してある。
1901年
■「火事!」(1901.10.15) 英 ジェームス・ウィリアムソン 活劇の「起源」
1902年
■「アメリカ消防夫の生活」(1902.1)米 ポーター。
1903年
★●「大胆な真昼の強盗」(1903.4)英 フランク・モッターショー
★●「絶望的な密漁事件」(1903.7)英 ウィリアム・ハガー
★●▲「スリ」(1903.11)英 アルフ・コリンズ。跳び箱。みんなで笑って追いかけること
■★「大列車強盗」(1903.12.7)米 ポーター
■1904年からの活劇
1904年になると1ショットの映画は殆ど撮られなくなり10ショットを超える映画も頻繁に出現するようになる。ここから「大列車強盗」以降の作品について活劇ジャンルとしての職業運動、あるいは「追っかけ」障害物競走を含めて活劇の撮られている作品について検討する。
★「The Escaped Lunatic(逃げた狂人)」(1904.1)
グリフィスが後に映画を撮ることになるアメリカのバイオグラフ社でウォレス・マカッチョン・シニアによって1904年1月に撮られているこの作品は、我こそはナポレオンなりと信じる狂人が刑務所で虐待され脱獄して看守たちに追いかけられるが捕まらず自分から刑務所に舞い戻るという作品である。脱走する→逃げる、追いかける、という常識的因果関係によって起動する物語であり狂人の逃げることは職業運動ではないものの追いかけてくる看守たちを翻弄しロープを伝って川を渡ったり崖を上ったりの超人的な手慣れた運動としてなされており狂気により「起源」(この「起源」とは人間の常習性における起源であり私の見た範囲の「起源」とは異なる)を喪失した常習犯的スキル運動と評すべきこととしてある。それに対して看守たちの追跡運動は職業運動だとしても、牢屋の窓から飛び降り、屋根から滑り落ち、斜面を看守たちがイモムシのようにごろごろ横転して転げ落ち、ロープを伝って川を渡り、ロープで崖をよじ登り、というように、狂人の超人的逃走と障害物競走によって職業運動から逸脱したスキル喪失運動へと巻き込まれている。さらにここでは持続した1ショットの中で狂人が遠くから走って逃げて来てキャメラの横を通り過ぎそのあと看守たちが遠くから追いかけて来てキャメラの横を通り過ぎるまでの「追っかけ」が6ショット撮られている。確かに2作品(「大胆な真昼の強盗」と「絶望的な密漁事件」)においても「追っかけ」は撮られているがそれよりも遥かに長い時間において延々持続するこの「追っかけ」は職業運動の過程に埋没することなく職業運動をまったきマクガフィンとして逃げることと追いかけることがそれのみを目的として撮られた「起源」であり、だからこそこの作品には「捕まえること」という職業運動の起承転結は撮られておらず、また彼らの運動は動物的となる。ただ、この作品は大部分のショットが「追っかけ」に費やされているように「追っかけ」障害物競走を目的として撮られていながら狂人はスキルフルな運動によって障害物競走に巻き込まれることはなく看守たちを翻弄している。「追っかけ」における巻き込まれ運動とは基本的に逃げる者が巻き込まれる運動であり逃げる者が逃げるスキルを有していては巻き込まれ運動は成立しない。ヒッチコックの巻き込まれ運動は追いかける者たちが警官やスパイなどのスキルフルな者たちであっても逃げる者たちは例外なく逃げるスキルを有していない者たちであるのだが、この作品では逃げる者がスキルを有し追いかける者が巻き込まれている。
★「Tracked by Bloodhounds (ブラッドハウンドに追跡される)」(1904.4)
アメリカのハリー・ヘイル・バックウォルターによって撮られているこの作品は立ち寄った民家で金欲しさに女を殺した男がブラックハウンドという犬を連れた夫たちに追いかけられて捕まり木に吊るされて処刑されるという作品である。強盗殺人→逃げること、追いかけることという常識的因果関係によって起動するこの運動は、森を駆け抜け、斜面を転げ落ち、橋から川へ飛び降り、川の中で水しぶきを上げて格闘するという障害物競走が反復されているが滑稽さは見られずむしろ追いかける者たちの執拗な職業運動(ないしは人間としての復讐運動)の反復として現れているのであり、最後に犯人を捕まえ木に吊るして処刑するというシリアスな物語は①殺すこと②逃げることと追いかけること③捕まえて処刑すること、という職業運動としての起承転結が目的として撮られている。ただ、ここでも1ショットの中で逃げることと追いかけることがキャメラの横を通り過ぎるまで延々と撮られる「追っかけ」が3ショット撮られ、1ショットだけ子供たちがみんなで笑って追いかけてキャメラの横を通り過ぎるショットが撮られ、かつ追いかける者たちの発砲した銃の煙が何度も画面を真っ白になるくらいに覆い尽くすという過剰なショットが撮られている(「大列車強盗」にはこのようなショットは撮られていない)。特に子供たちが笑ってみんなで追いかけることに見られるように職業運動から大きく逸脱した過剰な細部が幾つも織り込まれているこの作品は、シリアスな職業運動と過剰な「追っかけ」という本来相容れない運動が同時に撮られた折衷的作品としてある。「追っかけ」とはそれ自体過剰な運動であることから物語の過程に融合させようとしても水と油のようにして弾け合ってしまう性質を有している。
●評 基本的には職業運動でありその過程に過剰な「追っかけ」が撮られている折衷的な(水と油が混ざって弾き合うような)作品。
★「Bold Bank Robbery(大胆な銀行強盗)」(1904.7.30)
アメリカのジャック・フローリーによって撮られているこの作品は強盗たちが銀行を襲い逃走するが犬を連れて追いかけて来た警官たちに捕まるという物語であり①強盗すること②逃げることと追いかけること③捕まること、という職業運動の起承転結が撮られている。ここでは強盗団がレストランで打ち合わせをし、タクシーで家に帰ってマスクをかぶって変装し、タクシーを強奪し、窓から銀行に押し入り警備員を射殺し、金庫に爆弾を仕掛けて爆破して金を盗み、奪ったタクシーで逃走するまでの手慣れた職業運動が11ショットを費やして撮られており「大列車強盗」(1903)と同様に手慣れた職業運動そのものが目的として撮られている。さらにこの強盗たちはオープニングとラストシーンにおいて何かしら憎めないような撮られ方をしておりおぼろげながら強盗たちに寄り添ったGood Bad-Man(グッド・バッド・マン)の「起源」となる作品でもある。だがここでもまた屋上を走り、屋根から飛び降り、警官が脚にタックルされて転び、川の中で格闘し、市電をすり抜け、という障害物競走が撮られており、川の中で格闘するシーンでは警官が子供たちの水遊びのように強盗に水をかけて水しぶきを上げたりし、さらに1ショットだけ何の関係もない子供たちがみんなで笑って一緒に追いかけているショットも撮られており、いかにこの時期、「追っかけ」の影響力が強いかを見ることができる。「ブラッドハウンドに追跡される」(1904.4)と同じようにシリアスな運動と滑稽な運動とが混在している。
★「大列車強盗(THE GREAT TRAIN ROBBERY)」(1904.8)
アメリカのジークムント・ルビンによってポーターの「大列車強盗」(1903)が見事に「リメイク(剽窃)」されている。ここまで細かいところまで真似るものかというくらいこの時期の「リメイク」は真似られているのであり、撮られている運動は「大列車強盗」(1903)と殆ど同じなのでここではここまでに留めておく。こうした時期にバイオグラフ社のウォレス・マカッチョン・シニアによって「交際欄」が撮られることになる。
■「PERSONAL(交際欄)」(1904.8.8)~純粋巻き込まれ運動
ここで「交際欄」の登場である。アメリカのバイオグラフ社ウォレス・マカッチョン・シニアによって撮られたこの作品は、金持ちの男が妻を募集する広告を新聞の交際欄に出したところ余りに多くの女性が現れたため慌てて逃げ出し女性たちみんなに追いかけられるという物語であり映画ファンなら多くの場合「キートンのセブン・チャンス(SEVEN CHANCES)」(1925)を想起するところのコメディでありそれまでは職業運動を仮構しながら撮られていた初期映画の「追っかけ」を職業運動を仮構しないまったき巻き込まれ運動として映画史に刻んだ決定的な「起源」としてある。
1「追っかけ」8ショット。延々と逃げることと追いかけることが撮られた後キャメラの横を通り過ぎてゆく「追っかけ」が8ショット撮られている。捕まえることが物語上の要請であるならばここまで延々と走ることを撮ることはない。
2障害物競走 叢の中を走り抜け、直線の下り坂を駆け下り、小川に掛けられた小さな橋を渡り、柵を乗り越え、カーブする下り坂を駆け下り、崖から飛び降り、という障害物競走が撮られている。
3みんなで笑って追いかけること 女たちはみんな笑いながら追いかけている
4女たちはみな帽子をかぶっており、帽子が落ちないように手で支えながら走っている。捕まえることが目的であればこのような「捕まえること」を妨害するようなシチュエーションにはしないはず。
★極めて強いマクガフィン
ここまでの「追っかけ」は泥棒、強盗、密漁、スリ、囚人→逃げる、追いかける、という職業運動を仮構した常識的因果関係によって撮られていた。しかしこの「交際欄」は①結婚の広告を新聞に出す→②大勢の女たちが来る→③逃げる、となり、これを常識的な因果の連関で読むと支離滅裂になる。これが非常識的因果関係によって起動する純粋な巻き込まれ運動であり職業運動を仮構した巻き込まれ運動とは異なり①はそれ自体に意味をなさずその後の運動(「追っかけ」)を起動させるためだけに存在することから因果の流れが①→②→③ではなくまったき③→②→①となって逆流する。ヒッチコックが『マクガフィンにそれ以上の意味はない。だからヘンに理屈っぽい奴が「マクガフィン」の真相や内容を解明しようとしたところで、なにもありはしないんだよ』(映画術126頁)と語っているマクガフィンとは「交際欄」において③を引き起こすためにのみ存在する①②のような極めて強いマクガフィンを意味しており、それによって惹き起こされる物語の流れは、逃げることと追いかけることのスキルを有さない者たちが①に巻き込まれて運動を開始するまったき巻き込まれ運動として露呈する。ウォレス・マカッチョン・シニアはみずから撮った「逃げた狂人)」の常識的因果関係を逆転させ純然たる非常識的因果関係の巻き込まれ運動へと転換させている。最後は女に銃を突きつけられて捕まえられるという起承転結が撮られており『綺麗な身なりをした女が小さなハンドバッグの中から銃を出して突きつける』という極めて映画史的なラストシーンであるものの露呈しているのは「追っかけ」であり捕まえることはここでは目的としては際立っていない。
★巻き込まれ運動
ヒッチコック論文において巻き込まれ運動とはスキルを喪失した非職業人間がマクガフィンによって背中を押されむち打ちのようにして運動を開始する動物的運動でありキートンのサイレント作品、ヒッチコックの「三十九夜(THE 39 STEPS)」(1935.6.6)、「北北西に進路を取れ(NORTH BY NORTHWEST)」(1959)等、ハワード・ホークス「赤ちゃん教育(BRINGING UP BABY)」(1938)、山中貞雄「丹下左膳餘話 百萬兩の壺」(1935)などの主人公たちが巻き込まれ運動の例として挙げられているがこのどれもが職業運動ではない非スキル運動であることから職業運動に比べて巻き込まれ度は大きくなり何をしていいかわからないのでひたすら逃げるしかないという状況が生まれる。さらに職業運動、特に犯罪映画は泥棒する→逃げる、追いかける、というその職業の常識的な因果関係によって起動するが非職業運動は運動が限定されておらず「交際欄」のように、結婚広告を出す→大勢の女が来た→逃げる、という荒唐無稽の流れも可能となる。ここで泥棒したから逃げる、という常識的因果関係とは明らかに異質な因果の流れをしているのは、この作品の物語の構造自体が大勢の女が来たから逃げるのではなく、逃げるためには大勢の女が来る、という極めて強いマクガフィンによって逆流しているからであり、こうして引き起こされた「追っかけ」という運動は職業運動(人間運動)の常識的因果関係からかけ離れて余りにもばかばかしく、非常識であり、だからこそそれによって起動する運動は因果の鎖から解き放たれて動物的に露呈する。「キートンのセブン・チャンス」(1925)で観客が記憶しているのは非常識的因果関係によって起動したキートンが大勢の女たちから逃げるシーンでありそれはそのシーンが常識的因果関係から解き放たれて露呈しているからである。露呈するのは極めて強いマクガフィンによってそれ自体が目的化されて常識的因果関係の鎖から解き放たれているからであり、常識的因果関係から解き放たれていると人はその流れに対処することはできないことからスキル喪失運動となり巻き込まれていることになる。巻き込まれ運動とは強いマクガフィンによって常識的因果関係から逸脱して起動する非常識的因果関係に巻き込まれる運動であり、基本的には非職業運動によってなされるが職業運動であってもマクガフィンが強いときには巻き込まれ運動となる。障害物競走などのスラップスティックコメディは飛び石があるから飛び越えるのではなく飛び越えるために飛び石があるという逆因果関係でありまた職業運動のスキルから逸脱していることから泥棒であれ警官であれその障害物を克服するスキルを有さないのが通常であり障害物競走は基本的にスキルを喪失した巻き込まれ運動へと接近していく。対して「大列車強盗」(1903.12.7)のような常習犯的職業運動(まったき職業運動)の場合、常識的因果関係によって内的に運動が起動することからそれを引き起こすマクガフィンはさほど強くはなくまたそれによって引き起こされる巻き込まれ度は非職業運動に比べて因果の過程にある (常識的因果関係)ことから弱くなる。しかし仮に職業運動であっても職業運動の因果の過程を逸脱する場合=職業運動を仮構した「追っかけ」障害物競走などの場合=職業運動を仮構していることにおいて純粋な巻き込まれ運動よりは弱いものの逆因果関係が強いことにおいて巻き込まれ度は強くなる。物語の部分に限ってであれば「追いはぎたち)」(1895.5)で追いはぎをされた者、「水をかけられた水撒き人)」(1895.12.28)の水撒き人などの被害者たちはみな巻き込まれ運動の渦中にあり、ひとつの物語としてはジョルジュ・メリエス「Une nuit terrible(ひどい夜)」(1896)、「Le Cauchemar,(悪夢)」(1896)などの主人公たちが巻き込まれ運動の「起源」となるだろう。しかし「水をかけられた水撒き人」には少年がホースを踏むという故意のいたずら(職業運動に近い)がそこに介入しており「追いはぎたち」などの被害者もまた犯罪行為という職業運動によって巻き込まれていることから常識的因果関係の過程にあり、また逃げること、追いかけることという活劇としての運動にも欠けている。メリエスの作品はトリックと特撮の驚きによって巻き込まれる物語が撮られているが特撮による運動は制御されているために因果関係が解き放たれず巻き込まれ運動の不確実性が削減されることになり、またロケーションの不在により活劇としての運動に欠けている。職業運動に仮構する「追っかけ」障害物競走は障害物競走であることにおいて巻き込まれ運動だがそれらは物語の部分においての出来事でありひとつの物語として非常識的因果関係の巻き込まれ運動を成立させたのは「交際欄」(1904.8.8)であり巻き込まれ運動をひとつの活劇ジャンルとしたところにその画期的な意義がある。
★評 女たちは「男を捕まえること」という執念による人間運動であり追いかけることのスキルは有さないがそれを超越した執念で男を追いかける常習犯。男は巻き込まれ運動。だが男も女たちも逃げることを起動させるマクガフィンに過ぎず「追っかけ」障害物競走によってスキルを喪失し巻き込まれている彼らの運動は動物的であり人間らしさからかけ離れている。
■「交際欄」(1904.8.8)以降の作品
★「The Moonshiner( 酒の密造者)」(1904.8.19)
「交際欄」を撮ったウォレス・マカッチョン・シニアが再び登場する。キャメラマンはのちにグリフィスのキャメラマンとなるG・W・ビッツァー。山奥で酒の密造をしている家族たちが税務署員たちに追い詰められ最後に夫婦が射殺されるというこの作品は密造者たちが酒を造るシーンと税務署員たちの入念な調査活動が撮られながら「追っかけ」も障害物競走もないシリアスな職業運動として撮られている。また犯罪者集団である密造者たちには幼い娘たちや妻などの家族がいてまるで農民が畑仕事に精を出すように酒の密造に励み、エプロンをしてライフルを鋤か鍬のように片手にさげて夫を見送る妻の姿は牧歌的ですらある。ポーター「大列車強盗」(1903)が犯罪者を主人公にその職業運動を徹底して捉えた常習犯の映画であるならばジャック・フローリー「大胆な銀行強盗」(1904.7.30) は憎めない強盗たちを撮ることで善と悪の垣根にメスを入れ「酒の密造者」はさらにそれを進めて常習犯としての犯罪者には善も悪もない=Good Bad-Man(グッド・バッド・マン)という領域へ踏み込んだ画期的な作品であり、ウォレス・マカッチョン・シニアは「交際欄」(1904.8.8)でまったき巻き込まれ運動の「起源」を撮っていながらわずか十日後に封切られたこの作品では常習性の極めて強い人間的職業運動であるグッド・バッド・マンの「起源」を撮っている。これは「赤ちゃん教育(BRINGING UP BABY)」(1938)を撮った直後に「人情紙風船」(1937.8.25)を撮ってしまうような離れ業でありまったく運動の質の異なる作品を続けて撮ってしまうマカッチョンという人物は初期映画における運動の不明確性の環境の中において運動をジャンルとして高めた稀有な監督である。1897年にバイオグラフに入社し監督を始めたマカッチョンはのちにグリフィスのキャメラマンとなるG・W・ビッツァーと組み後に検討する「The Lost Child(ロストチャイルド)」(1904.10)では長いパンニングによる長回しを撮っている。1908年に監督デビューしたD・W・グリフィスがGood Bad-Man(グッド・バッド・マン)を撮った「起源」は「THE TWO BROTHERS(2人の兄弟)」(1910.5.14)あたりからであり、長いパンニングを撮った「起源」は1909年に同じくG・W・ビッツァーと組んで撮った「THE COUNTRY DOCTOR(田舎の医者)」(1909.7.3)あたりであることからかするならばマカッチョンはグリフィスの5年も先を行っていることになる。
★「How a French Nobleman Got a Wife Through the New York Herald Personal Columns(フランス貴族がニューヨーク・ヘラルドの個人コラムを通じて妻を手に入れた方法)」(1904.8.26)
「交際欄」(1904.8.8)が公開されてからわずか1月弱でエドゥイン・S・ポーターは早速それを「リメイク(剽窃)」している。物語はまったく同じで新聞の広告欄に花嫁募集の広告を出した男がやってきた大勢の女たちから逃げて女たちに追いかけられるという物語である。
① 「追っかけ」 7ショット撮られている
② 障害物競走 斜面を転げ落ち、橋を渡り、崖を転げ落ち、森を駆け抜け、柵を乗り越え、丸太の上を飛び越え、川の中に飛び込み水しぶきを上げる。
③ みんなで笑って追いかけること 大勢の女たちが笑いながら追いかけている
④ 女たちはみな帽子をかぶっており、帽子が落ちないように手で支えながら走っている。「交際欄」のこのような細部まで「リメイク」している。
ポーターはロバート・W・ポール「The Countryman and the Cinematograph(田舎者とシネマトグラフ)」 (1901) を「uncle josh at the moving picture show(ジョシュおじさんの映画出演)」(1902.1)によって「リメイク」し、ジェームス・ウィリアムソン「火事!」(1901.10.15) を「アメリカ消防夫の生活」(1902.1)によって「剽窃」し、リュミエール「機械的な肉屋」(1895)を「Dog Factory(犬の工場)」(1904)によって、、と「リメイク(剽窃)」の名人であるものの著作権の整備されていないこの時代には誰しもがこうしたことを経験しながら映画を撮っており、ジャンルの確立していない初期映画の時間において模倣は必要であったばかりかアートとは模倣、引用の反復であることからするならばポーターのこうした傾向をそれだけで批判することはできない。「大列車強盗」(1903)においておそらく映画史上初めて職業運動の緻密な反復という常習犯を画面に焼き付けておきながらまったく運動の質の異なるマカッチョンの巻き込まれ運動にいち早く目をつけそれを模倣しているポーターの慧眼こそ語られるべきであり、ポーターが「交際欄」の巻き込まれ運動を反復させることで純粋な巻き込まれ運動が独自のジャンルとして動き始めている。ここにポーターとマカッチョンという、常習犯の職業運動と巻き込まれ運動という異質な運動を同時に撮ることのできる作家が時を同じくして誕生したことになる。
★「Meet Me at the Fountain (噴水で逢いましょう)」(1904.11.5)
さらにまたそのポーターを「リメイク」する作品が現れる。「大列車強盗」(1903.12.7)を「大列車強盗」(1904.8)で「リメイク」したアメリカのジークムント・ルビンが撮ったこの作品はマカッチョン「交際欄」(1904.8.8)を「リメイク」したポーター「フランス貴族がニューヨーク・ヘラルドの個人コラムを通じて妻を手に入れた方法」」(1904.9)のさらなる「リメイク」であり新聞に結婚希望の広告を出した男が待ち合わせ場所に現れた大勢の女たちの争奪戦に巻き込まれて逃げ出すという前二作とまったく同じ物語を踏襲し、笑って追いかけてくる女たちから逃げながら、ベンチにつまずいて転び、電車に飛び乗ったものの次の駅で追いつかれ、柵を乗り越え、斜面を転げ落ち、階段を駆け上り、木によじ登り、崖から飛び降り、水しぶきを上げて川に飛び込んだところで捕まるまでの8ショットの「追っかけ」障害物競走の巻き込まれ運動がそのまま模倣されている。1904年8月に公開された「交際欄」からわずか3か月のあいだにそれをそのまま模倣した作品が2作撮られている。「火事!」(1901.10.15) 「アメリカ消防夫の生活」(1902.1)「大列車強盗」(1903)、「酒の密造者」」(1904.8.19) によってジャンルを形成した職業運動はもうひとつのジャンルとして成立した巻き込まれ運動とともに、活劇という目には見えないジャンルを誕生させている。そのすべてがアメリカで撮られていることは偶然ではないはずである。
★「Maniac Chase(熱狂的追いかけ)」(1904.10.7)
これまたポーターがウォレス・マカッチョン・シニア「The Escaped Lunatic(逃げた狂人)」(1904.1)を「リメイク」した作品であり、我こそはナポレオンなりという狂人が刑務所から脱走して看守たちに追いかけられるという物語が常識的因果関係によって起動し、「逃げた狂人」」同様、「起源」」を喪失した狂人の常習犯的超人的運動によって看守たちが障害物競走に巻き込まれてゆく運動であり、「追っかけ」(3ショット)、障害物競走、みんなで追いかけること、最後はみずから刑務所に舞い戻ること、という細部がそのまま踏襲されている。ここで新たな細部としてジャンプして木の枝に飛びつく囚人と看守とが1ショットだけ逆回しで撮られている。「絶望的な密漁事件」(1903.7)に前後してフランスで撮られた監督不明の「Poursuite accidentée(追跡事故)」(1903.7)では自転車を盗んだ男が自転車ごと川の中へ飛び込みそのあとを警官が追いかけて飛び込むと男は逆回しされたフィルムで自転車ごと丘へ浮上し逃げてしまうという、警官と泥棒の職業運動としての逃走と追跡、川に飛び込むという障害物競走に加えて逆回しによる逃走が1分弱のフィルムで撮られておりこれが逃走に逆回しを使用した「起源」としてあるが、「熱狂的追いかけ」における逆回しは「追っかけ」障害物競走に逆回しを用いた「起源」となる。これは「逃げた狂人」」における狂人の超人的な逃走をアレンジして進めたポーターらしいアレンジの発想だが、逃げること、追いかけることを目的とした逆因果関係だからこそ可能な撮り方であり常識的因果関係によって起動する職業運動では撮りづらい細部である。ただ「逃げた狂人」」同様、逃げる者に逃げるスキルがあることにおいて巻き込まれ運動としては弱く、また特撮による障害物競走はしくじることのない運動でありスキルを喪失して巻き込まれるという障害物競走の滑稽さは希薄になる。D・W・グリフィスはマック・セネット主演の巻き込まれ運動「The Curtain Pole(カーテンポール)」(1908/1909.2.13)でこの逆回しを撮っているが職業運動ないし人間運動での逆回しはグリフィス作品では見たことはない。
★「The Lost Child(ロストチャイルド)」(1904.10)
それではとふたたびウォレス・マカッチョン・シニアがG・W・ビッツァーと組んでバイオグラフで撮ったこの作品は犬小屋の中に隠れた子供を誘拐されたと勘違いした親が通りかがった通行人を誘拐犯だと思い込んでみんなで追いかける「追っかけ」が5ショット撮られた作品であり①子供が誘拐される②親が追いかける、という常識的因果関係によって起動する人間運動だが親も浮浪者も逃げること、追いかけることにおけるスキルを有さす、さらに①は事実ではなく勘違いであることから①が消えてしまい、②の逃げること、追いかけることが宙づりになる。①は②を起動させるためにのみ存在する極めて強いマクガフィンであり男が逃げるために赤ん坊が誘拐される(犬小屋に隠れる)のだから一見常識的に見えながら①→②の流れは実は②→①の非常識的因果関係にほかならない。マクガフィン①は逃げることさえ起動させてしまえばその中身は誘拐でも犬小屋でもどうでもよいのであり、だからこそ通行人は誤解が解けて解放されることになり赤ん坊も犬小屋で無事に発見されている。逃げている通行人は巻き込まれ運動そのものであり、追いかけている母親たちにしても偽の①によって翻弄されていることから彼らの追いかけることの運動もまた障害物競走と合わさることで巻き込まれ運動となる。「追っかけ」が5ショット撮られ、崖を駆け下りる、転げ落ちるという障害物競走が撮られ、ひとりの女は脇腹を押さえながら苦しそうに走っていて障害物競走に持久走まで加えられているばかりか、警官を含めてみんなで笑って追いかけることという細部も撮られているこの作品は、赤ん坊が誘拐されることをマクガフィンとして逃げること、追いかけることを起動させる究極の巻き込まれ運動として撮られている。これはヒッチコック「北北西に進路を取れ(NORTH BY NORTHWEST)」(1959.7.1)で広告会社の宣伝部長ケーリー・グラントがジョージ・キャプランなるアメリカのスパイと間違えられて敵国スパイに追いかけられる巻き込まれ運動と同じ流れであり、①ケーリー・グラントはアメリカのスパイである→②敵国のスパイに追いかけられる、という流れが常識的因果関係であるとするならば、彼は人違いで追われているのだから①が丸ごと消えて②だけが浮遊することになる。これがヒッチコック的巻き込まれ運動であり表向きは常識的因果関係のように見せながら①は「ロストチャイルド」同様に誤解であって実体がなく②を起動させるためにのみ存在する強いマクガフィンであり②を起動させてしまえばそのあとは消えてなくなる運命にある。だからこそこのジョージ・キャプランなる人物は架空の人物で存在しないのであり「北北西に進路を取れ」は同じくヒッチコック「三十九夜(THE 39 STEPS)」(1935.6.6)「第3逃亡者(Young and Innocent)」(1937.11)「フレンジー(FRENZY)」(1972.5.25)と並んで誤解をマクガフィンとした巻き込まれ運動として運動論的には「ロストチャイルド」の「リメイク」的作品としてある。唯一違うのは追いかける者たちが「ロストチャイルド」では追いかけることのスキルを有さない親や近所の人たちであるのに対してヒッチコックの巻き込まれ運動は敵スパイや警官という職業的スキルを有する者たちであることだが、そのスパイや警官もまたマクガフィンであることから職業運動は逃げること、追いかけることを撮るために仮構されているに過ぎないことになる。こうしてヒッチコックは純粋な巻き込まれ運動を職業運動に仮構させることで非常識的因果関係を緩和させて撮っているのだがそれでも賞をもらえず批評家たちから無視をされるのは逃げることを目的として撮られている巻き込まれ運動における消しようのない動物性の醸し出す幼稚さにある。運動とは基本的に幼稚なものであることを知らない映画史がこのような現象を反復させている。
★みんなで追いかけること
さらにここでは事情を知った通行人たちがどんどん増えていき全人類で追いかけるという感じであらゆる種類の人間が追いかけている。ヒッチコック的巻き込まれ映画であれこの作品であれ逃げている者が「なぜお前は逃げているのだ」と尋ねられたら「お前たちが追いかけて来るからだ」と答えるのが巻き込まれ運動であり、職業運動における「盗んだから逃げている」「殺したから逃げている」という追いかけられる理由が欠如しているのだからそのように答えるしかない。だからこそ逃げることがそのこととして露呈するのでありこの禅問答のような巻き込まれ運動は追いかける者たちが多ければ多いほどその多さに威圧されて逃げる運動が加速される。「交際欄」で待ち合わせ場所に大勢の女たちがやってくるのは「逃げること」の強度を強めるためのマクガフィンでありだからみんなで追いかけているのである。
★評 親たちは子供を探す人間運動。しかし「追っかけ」障害物競走によって巻き込まれている。浮浪者は巻き込まれ運動。
■「Revenge!(復讐)」(1904.10)アルフ・コリンズ
イギリスのアルフ・コリンズによって撮られているこの作品は自分の妻と浮気をしている警官に暴行を加えて逮捕され収監された男が脱走し、その後、娘と妻までも殺したあの警官を追いつめて絞め殺し復讐をするという物語だが最後は大勢の警官たちに囲まれ制圧されながらもそのまま警官を絞め殺すという壮絶な復讐劇が撮られている。「追っかけ」は1ショット撮られているが滑稽さはなくシリアスな人間運動の活劇が撮られている。
■1904年を振り返る
■職業運動の常習犯が撮られている作品
★「追っかけ」が撮られている作品。
●障害物競走が撮られている作品。
▲笑って追いかけることが撮られている作品
赤の題名は純粋な巻き込まれ運動。
★●「逃げた狂人」」(1904.1)米 マカッチョン。「追っかけ」6ショット。長い「追っかけ」の「起源」
■★●▲「ブラッドハウンドに追跡される」(1904.4)米ハリー・ヘイル・バックウォルター。「追っかけ」3ショット。水と油。
■★●▲「大胆な銀行強盗」(1904.7.30) 米ジャック・フローリー。「追っかけ」3ショット。水と油。
■★●「大列車強盗」(1904.8)米 ジークムント・ルビン。馬で「追っかけ」1ショット。
★●▲「交際欄」(1904.8.8)米 マカッチョン。「追っかけ」8ショット。
■「酒の密造者」(1904.8.19)米 マカッチョン。
★●▲「フランス貴族がニューヨーク・ヘラルドの個人コラムを通じて妻を手に入れた方法」(1904.9)米 ポーター。「追っかけ」7ショット。
★●「熱狂的追いかけ」(1904.10.7)米ポーター。逆回し1ショット。「追っかけ」3ショット。
★●▲「ロストチャイルド」(1904.10)米マカッチョン。「追っかけ」5ショット。
★●「復讐」(1904.10)英 アルフ・コリンズ
★●▲「噴水で逢いましょう」(1904.11.5)米ジークムント・ルビン。「追っかけ」8ショット。
1904年は「交際欄」(1904.8.8)とその「リメイク」、そして「ロストチャイルド」(1904.10)が撮られた年であり「追っかけ」障害物競走がジャンルとして広まった年となる。ただ、「逃げた狂人」」(1904.1)とそれを「リメイク」した「熱狂的追いかけ」(1904.10.7)では逃げる者に超人的スキルが付着することで巻き込まれ運動が弱められ、「熱狂的追いかけ」では逆回しというアレンジが撮られていることによって「追っかけ」の意外性が損なわれている。対して職業運動は「ブラッドハウンドに追跡される」(1904.4)「大胆な銀行強盗」(1904.7.30) 「酒の密造者」」(1904.8.19)によってその常習性の勢いを増している。 前年撮られた「大列車強盗」(1903.12.7)のシリアスな職業運動とともに活劇は大きな二つの運動に分かれたことになる。
■1905年
1905年になるとショット数はさらに増加する傾向を示している。
★「An Eccentric Burglary (奇妙な強盗)」(1905.3)
「大胆な真昼の強盗」(1903.4)で「追っかけ」障害物競走を撮り映画史に名を残したフランク・モッターショーがみずからの作品をセルフリメイクしたこの作品は「大胆な真昼の強盗」同様、屋敷の裏の塀を乗り越えて入って来た強盗たちが警官たちに追われて逃げ回るという常識的因果関係によって逃げること、追いかけることが起動する職業運動であるものの、シリアスな職業運動でもある「大胆な真昼の強盗」とは違い塀を乗り越えて来た強盗が飛び降りる時に転んででんぐり返しをして始まりその後は障害物競走が3ショットの「追っかけ」を交えて強盗と警官たち双方が7ショットの逆回しと2ショットの特撮によって撮られており、確かに「捕まえること」という職業運動から逸脱し、逃げること、追いかけることそのこととして撮られていて最後に強盗が捕まるのは物語上の帳尻合わせに過ぎないが、この逆回しは前年に撮られたポーター「熱狂的追いかけ」(1904.10.7)の反復でもあり逆回しと特撮による超人的運動は「追っかけ」障害物競走においてスキルを喪失させる役割を有する障害物競走を無化させてしまい巻き込まれ運動を平坦化させることになる。
★「A VICTIM OF MISFORTUNE(不幸な犠牲者)」(1905.4)
イギリスのロバート・W・ポールによって撮られているこの作品はペンキ職人が自分の好きな娘にちょっかいを出した警官の頭からペンキをかけて逃走して警官に追いかけられその途中で被害を巻き散らして被害者たちみんなに追いかけられ逃げ切るという作品であり、ペンキをかける(嫉妬から来る衝動的人間運動)→逃げる、追いかけられるという常識的因果関係によって逃げること、追いかけることが起動したあと、通りがかりの女たちが持っているかごを飛び越え、その女たちも笑いながら一緒に追いかけ、荷物を持った女を巻き添えにしてその女も一緒に追いかけ、ペンキの入ったバケツを持った男とぶつかってペンキを撒き散らしその男も一緒に追いかけ、馬車のタクシーを乗っ取り逃げ切ってしまうという障害物競走逃げ切り型であり、それが「追っかけ」5ショットによって撮られている。また、道々被害を被った者たちが加勢して追いかける者たちがどんどん増えてゆく被害撒き散らし型の「起源」でもありそうすることで「追いかけられるから逃げている」という巻き込まれ運動の逆因果関係が強化されている。
★「Willie and Tim in the Motor Car(ウィリーとティムの自動車)」(1905.7)
イギリスのパーシー・ストウによって撮られたこの作品は男二人女二人の泥棒たちが貴族の乗っている車を奪って逃げそれを貴族の男が自転車で追いかけるという常識的因果関係によって起動するが、その後、泥棒たちは車に置いてあった服を着て貴族になりすまし、ドライブインでビールを注文して車で飲み、自転車で追いかけてきた貴族を叩きのめし、貴族の身分証で検問を通り抜けるという手慣れた職業運動が撮られたあと。町で車を止めると街頭オルガンに合わせて四人で踊りだすという破天荒な運動が撮られている。ひたすら泥棒たちの側からその常習犯的運動が撮られていることにおいて「大列車強盗」「大胆な銀行強盗」「酒の密造者」等と通底するが貴族の服を着て束の間の上流気分をその場限りのこととしてふてぶてしく満喫する泥棒たちの明日をもしれぬ一瞬の跳梁が撮られていることにおいてボニーとクライドへとつながる青春映画の「起源」となる作品でもあり、職業運動の傍らダンスを楽しんでしまうその人間性の撮られ方は「前科4犯」的常習犯の「起源」ともいうべき作品としてもある。車が水たまりに突っ込んで水しぶきを上げたあと逃げることと追いかけることの「追っかけ」が2ショット撮られているが目的は泥棒の男女たちの運動でありこの作品において犯罪活劇はさらに広がりを見せている。
★「Les Petits vagabond(小さな放浪者)」(1905.7.31)
フランスのルシアン・ノンゲによって撮られているこの作品は家畜を盗んだ浮浪者の少年たちが卵を料理しているときに火事を起こし大人たちに追いかけられ小さな少年は捕まるが大きな少年に助けられて逃走するという物語であり、泥棒する→逃げるという常識的因果関係によって起動し、崖から飛び降り、柵を乗り越え、橋を走り渡り、小川を泳ぎ渡り、みんなで追いかけること(最初はみんな笑って追いかけている)という障害物競走が5ショットの「追っかけ」によって撮られている。
★「Our New Errand Boy(我らの新しい使い走りの男の子)」(1905.8)
イギリスでジェームス・ウィリアムソンが撮ったこの作品は、いたるところでいたずらをした使い走りの少年がみんなに追いかけられるが捕まらず逃げ切るという被害撒き散らし型の作品だが、みんなに追いかけられる原因は少年の故意によるいたずらであり、いたずらをする→逃げる・追いかけるという常識的因果関係によって起動し、繰り返される少年のいたずらは手慣れた手際の良さによってなされており逃げることにおいても少年はまるで準備していたかのようななめらかさによって追いかけてくる大人たちを翻弄し逃げ切っていることから目的は被害を撒き散らしてゆく少年のいたずらという職業運動であり「追っかけ」は1ショットしか撮られず障害物競走によって巻き込まれているのはいたずらの被害者たちでありそれも2か所でしか撮られていない。ここでもまた「逃げた狂人)」(1904.1)、「熱狂的追いかけ」(1904.10.7)のように逃げる少年にスキルがあり追いかける者にスキルがないという逆転現象が生じていることから巻き込まれ運動としては弱く、仮にいたずらの常習犯の職業運動が目的に撮られているとしても、泥棒などの犯罪が意図に反して見つかり意図に反して追いかけられるのとは違いこの少年のいたずらはそれによって追いかけられることを見越してなされているのでそこには「想定内」という知的なリミッターが作動することになる。ヒッチコック論文において常習犯とは自らの内からの衝動に巻き込まれる運動であることを検討しているがここにおけるいたずらには追いかけられることを想定していることにおいて知的であり衝動に巻き込まれるという要素に乏しくその運動性は減退することになる。
★「The White Caps(ホワイトキャップス)」(1905.9)
エドゥイン・S・ポーターとエジソンへ移籍してきたウォレス・マカッチョン・シニアが共同監督で撮っているこの作品は家庭内暴力で妻に暴力をふるった男を白覆面を付けた自警団たちが捕まえてリンチし追放するという映画であり同年1905年に出版されたトーマス・ディクソン「クランズマン」にヒントを得たものでD・W・グリフィスは「国民の創生(The Birth of a Nathion)」(1915.2.8)でこのテーマを撮っている。ここでは自警団たちが男の家に警告の紙を貼り、逃げる男をみんなで捕まえ、一度は取り逃がしたものの再度捕まえ、木に吊るして男の体にニスを塗り羽毛を振り付け馬に乗せて追放するという手慣れた職業運動が多くのショットによって撮られている。途中、男を取り逃がしたときに1ショット「追っかけ」が撮られているものの終始シリアスな運動によって撮られているこの作品には巻き込まれ運動的な逆因果関係の要素は乏しく「大列車強盗」(1903.12.7)と通底する常習犯的職業運動が撮られている。ウォレス・マカッチョン・シニアは1907年の後半にはエジソンからバイオグラフへ戻っておりそのわずかなエジソン在籍期間にエドゥイン・S・ポーターとの共同監督で何本もの作品を撮っている。常習犯と巻き込まれ運動の2大ジャンルを形成した2人が一瞬交わり共同で映画を撮るという映画史がここに現れている。
★「MIXED BABIES(混ざった赤ちゃん)」(1905.9)
「大胆な真昼の強盗」のフランク・モッターショーによって撮られている90秒のこの作品はいたずら好きの新聞配達の少年が店の前に止めてある二台の乳母車の中の赤ちゃんを交換し店から出て来た男が何も知らずに乳母車を押して去ってゆくと店から出て来た女が少年から赤ん坊が取り換えられたことを知らされ乳母車を押しながら男を追いかけてゆく物語である。少年が赤ん坊を交換しそれによって追いかける運動が起動していることから常識的因果関係であり赤ん坊を交換した少年はマクガフィンなのですぐにいなくなってしまいその後乳母車を押した男と女の「追っかけ」が2ショットほど撮られている。ここでも根底の原因が少年による故意のいたずらであり同じいたずらでも「我らの新しい使い走りの男の子)」(1905.8)とは違っていたずらをした少年は逃げるのではなく出て来た女に指図をして追いかけさせてからほくそ笑んでいるだけだが、こうして知的になされた行為によって起動する「追っかけ」は少年の想定内であることにおいて必然の運動となり巻き込まれ運動の醸し出す不可抗力の力が失われている。巻き込まれ運動は理由なしに起動することでその運動性が高まるのだが「我らの新しい使い走りの男の子」」(1905.8)以降、撮られている「追っかけ」は多くの場合、知的な意志によって起動する想定内の運動となって失速している。仮に職業運動に仮構するのなら、泥棒の常習犯のように、衝動的に盗むという常習犯的細部を撮ることが必要であり余りにも出来すぎた運動は知能犯となって失速することになる。
★「THE LITTLE TRAIN ROBBERY(小さな列車強盗)」(1905.9.1)
エドゥイン・S・ポーターによって撮られているこの作品は子供たちが列車強盗をして乗っていた子供たちからお菓子を強奪して逃げるが追いかけてきた大人たちに捕まえられるという常識的因果関係による物語であり、子供たちが主人公ということでコメディの要素が入ってはいるものの子供たちは入念な準備会議をしてから農家の納屋から馬を盗んで出発し、その馬を森に残して線路まで歩いて行き、線路に木の板を敷いて子供用の小さな列車を止め、大人の運転手をこん棒の一撃で失神させ、乗っていた子供たちをホールドアップさせてお菓子を盗み、そのまま列車で逃亡してから乗り捨て、森に置いてきた馬に乗り換え逃亡するという、「大列車強盗」(1903)顔負けの計画的かつ手際のいい常習犯の職業運動の反復がここでもポーターによって撮られている。馬で逃げる子供たちとそれを走って追いかける大人たちとの「追っかけ」が前半に2ショット撮られ、そこには岩に気をつけながら馬で小川をゆっくり横切るという障害物競走が撮られている。その後の西部劇で頻繁に見ることのできる『馬で小川を横切る』という運動の「起源」は「追っかけ」障害物競走の過程において現れている。さらに後半には走って逃げる子供たちを走って追いかける大人たちが、橋を駆け渡り、斜面を駆け下り、水しぶきをあげて川に飛び込む障害物競走の「追っかけ」が3ショット撮られているがそこに滑稽さは希薄でありこの作品には職業運動とそれに付随した「追っかけ」障害物競走が撮られていることになる。
★「The Watermelon Patch(スイカ畑)」(1905.10.24)
エドゥイン・S・ポーターとウォレス・マカッチョン・シニア共同監督によって撮られているこの作品は黒人たちがスイカ畑からスイカを盗むと骸骨の案山子に追いかけられて逃げ帰った小屋の出入り口と煙突を追いかけて来た白人たちにふさがれ煙に巻かれてあぶりだされるという物語である。スイカを盗む→逃げる、追いかけられるという常識的因果関係によって起動する運動はスイカを盗んだ黒人たちが生い茂った畑の中を駆け抜け、柵を乗り越え、また潜り抜けるという障害物競走が4ショットの「追っかけ」と共に撮られ、追いかけているのは骸骨の案山子の着ぐるみを着た白人たちであり、また逃げている黒人たちは笑って逃げていることから、ここでもまた追いかけること、逃げることが目的として撮られている。ただそれは中盤までで、その後は黒人たちのダンスシーンが延々撮られたあと、黒人たちを炙り出すことという物語に重きの置かれた運動が撮られている。ここに撮られているのは職業運動とは異質の逃げること、追いかけること、のみならず、踊ること、スイカを食べること、炙り出すこと、という人間運動の細部の羅列であり、特にポーターは「Uncle Tom's Cabin(アンクルトムの小屋)」(1903.8.3)「大列車強盗(The Great Train Robbery)」(1903.12.7)「The Miller's Daughter(粉屋の娘)」(1905.11.6)「Kathleen Mavourneen(愛しのキャスリ-ン)」(1906.8)などでも物語とは直接関係のないダンスシーを延々と撮っているように物語から逸脱してでも撮りたいことを断片的に撮るという傾向をポーターのこの作品にも見出すことができる。
★「THE TRSIN WREKCERS(列車破壊者)」(1905.11.27)
さらにまたエドゥイン・S・ポーターによって撮られているこの作品は、強盗団の計画を聞いてしまった転轍手(線路のポイントを切り替える人)の娘が拉致され木に縛られるが犬に助けられ、強盗団が線路に丸太を置いたのを見た娘は脱いだペチコートを振って機関士に知らせて間一髪事故を防ぐがそれを逆恨みした強盗団によって殴られて失神し線路の上に放置されるが機関士に助けられ、トロッコで逃げた強盗団たちを鉄道警察官たちが切り離した汽車で追いかけて射殺する、という物語であり、強盗団と鉄道警察官たちの職業運動が撮られているがそれに特化されることなく、オープニングで管制塔のようなところの窓の外に汽車が入って来ると転轍手の娘がポイントを切り替えること、木に縛られた娘を犬が縄を食いちぎって助けること、娘が脱いだペチコートを振って走ってきた汽車を止めること、その後、一本道のレールを歩いてくる娘が強盗団に殴り倒されること、強盗団がみんなで丸太を持って小屋の戸を叩いて開けること、レールの上の女が危機一髪助けられること(このシーンは長い逆回しで撮られている)、トロッコで逃げる強盗団と追う汽車との「追っかけ」が3ショットなど「良いシーン」が沢山撮られている。「良いシーン」とは物語の因果関係から多かれ少なかれ解き放たれ逆因果関係として露呈しているシーンのことでありハワード・ホークスは『五つのシーンが良いシーンで、客を苛つかせなければ、オレはそれで良いわけだ』とジョン・ウェインに語っているが(「監督ハワード・ホークス映画を語る」61頁)、職業運動が幾つもの良いシーンによって撮られているこのポーターの作品にはハワード・ホークスの先駆を見ることができる。
▲「LIFE OF AN AMERICAN POLICEMAN(アメリカ警察官の生活)」(1905.12.6)
再びエジソン社でウォレス・マカッチョン・シニアとエドゥイン・S・ポーター共同監督で撮られたこの作品は、警察官が家族との朝食を終えて家を出て、警察署から出動し、迷子の子供を助け、入水自殺した女を海から助けて蘇生措置を施し、暴走している女の馬に馬で追いついて静止させ、馬車の準備をして巡回に出かけるというアメリカの警察官の職業運動が「追っかけ」なしのドキュメンタリータッチで撮られている。同じく二人で撮った「ホワイトキャップス)」(1905.9)で常習犯の職業運動をドラマチックに撮ったマカッチョンとポーターの二人はここでは物語的につながらない幾つもの警察官の職業運動をドキュメンタリータッチで断片的に撮っており、こうした撮り方はモーションピクチャーが基本的に断片的なショットのつながりであることの極めて重要な細部として現れている。「酒の密造者」(1904.8.19)で職業運動を撮っているウォレス・マカッチョン・シニアはそのキャリアの初めから「How They Rob Men in Chicago(シカゴで男から強盗する方法」(1900.4)、「Grandpa's Reading Glass(おじいちゃんの老眼鏡)」(1902)などのフィクション映画を撮っているのに対してエドゥイン・S・ポーターはエジソンのもとでコメディ、シリアスな人間ドラマ、消失と出現の特撮などのフィクションのほかに実話物やドキュメンタリーを数多く撮っており職業運動をドラマチックに撮るマカッチョンとひとつの運動をずっと注視してドキュメンタリータッチで撮るポーターとは「追っかけ」のみならず職業運動を撮ることにおいてもその質を微妙に異ならせながら共鳴し合っている。
★「Le Voleur de bicyclette (自転車泥棒)」(1905/1906.1.13)
フランスのシャルル・リュシアン・レピーヌによって撮られているこの作品は典型的な「追っかけ」障害物競走であり自転車を盗む→追いかけられる、という常識的因果関係によって発動した逃げること、追いかけることの運動が、高跳び、壁をよじ登る(特撮)、川へ飛び込み水しぶきをあげる、といった障害物競走とタクシー、リヤカー、手押し車、バスケットを両脇に抱えた女、乳母車を押す母親、子供(笑っている)など全人類みんなで追いかけることという7ショットの「追っかけ」によって撮られていて特に最初の高跳びは敢えて高跳びの方式で飛んでおり障害物競走の運動が強く押し出されている。泥棒という職業運動はマクガフィンであることから泥棒は船で逃げて終わっている。ただ、ここでも泥棒の障害物競走はスキルフルに撮られており、また1ショット特撮によってアパートの壁を歩いて上る障害物競走も撮られていることから「追っかけ」障害物競走の逆因果関係は弱められている。
1905年を振り返る
■職業運動の常習犯が撮られている作品
★「追っかけ」が撮られている作品
●障害物競走が撮られている作品
▲笑って追いかけることが撮られている作品
赤の題名は純粋な巻き込まれ運動
★●「奇妙な強盗」(1905.3)英 モッターショー。逆回し7ショット、特撮2ショット。「追っかけ」3ショット。
★●▲「不幸な犠牲者」(1905.4)英ロバート・W・ポール。被害撒き散らし型の「起源」。「追っかけ」5ショット。
■★「ウィリーとティムの自動車](1905.7)英パーシー・ストウ「追っかけ」2ショット
★●▲「小さな放浪者」(1905.7.31)仏ルシアン・ノンゲ。「追っかけ」5ショット。
★●「我らの新しい使い走りの男の子」(1905.8)英ジェームス・ウィリアムソン。いたずらの「起源」。「追っかけ」1ショット。知的。
■★「ホワイトキャップス」(1905.9)米 マカッチョン、ポーター共同監督。「追っかけ」1ショット
★「混ざった赤ちゃん」(1905.9)英フランク・モッターショー。いたずら。「追っかけ」2ショット。
■★●「小さな列車強盗」(1905.9.1)米 ポーター「追っかけ」5ショット。馬を徒歩で「追っかけ」2ショット。
★●▲「スイカ畑」(1905.10.24)米 マカッチョン・ポーター共同監督。「追っかけ」4ショット。
■★「列車破壊者」(1905.11.27)米 ポーター。トロッコと汽車との「追っかけ」3ショット。
■「アメリカ警察官の生活」(1905.12.6)米 マカッチョン・ポーター共同監督。「追っかけ」なし
★●「自転車泥棒」(1905/1906.1.13)仏シャルル・リュシアン・レピーヌ。特撮1ショット。「追っかけ」7ショット。
「追っかけ」を目的とした作品が数多く撮られている。しかしそのすべてが常識的因果関係に基づく職業運動に付随した「追っかけ」であり「交際欄」(1904.8.8)のように非常識的因果関係による純粋な巻き込まれ運動の「追っかけ」は一本も撮られずまた「ロストチャイルド」のようなヒッチコック的巻き込まれ運動も撮られていない。また「奇妙な強盗」、「自転車泥棒では逆回しと特撮が撮られ、「我らの新しい使い走りの男の子)」はいたずら好きの少年が追いかけてくる大人たちを翻弄しているが、逃げる者たちに特撮、ないしは超人的、知的な要素によってスキルが混入すると「追っかけ」障害物競走の巻き込まれ運動が閉じ込められる。逆因果関係とは因果の流れから解き放たれて四方八方に弾け散ることであり逃げる者は必死に逃げなければならない。ヒッチコックの巻き込まれ運動は追いかける者たちがスキルフルな常習犯であったとしても逃げる者たちが逃げるスキルを有していることは決してない。仮に常習犯の職業運動を撮ることが目的ならば逃げている泥棒がスキルフルに逃げ切ることはそれが常習性に基づく限り当然の出来事だが「追っかけ」のような巻き込まれ運動で逃げる者にスキルを付与するのは運動の自殺になる。巻き込まれ運動は複雑で純粋に撮ることが極めて難しいジャンルでありすでに衰退の兆候が現れている。対して職業運動的常習犯は衰えることなく「ウィリーとティムの自動車」のような前科4犯的常習犯の奇天烈な運動の撮られた作品が現れ、ポーターにより「小さな列車強盗」「列車破壊者」といった「良いシーン」の撮られた作品が続いて撮られ、マカッチョンとの共同監督により「アメリカ警察官の生活」といったドキュメンタリータッチの職業運動が撮られることでさらなる広がりを見せている。
1906年
1906年になると1ショットの映画はほとんど見られなくなる。
★「Voleurs de bijoux mystifiés(宝石の神秘)」
作者不明のこのフランス映画は宝石泥棒が木箱の中に隠れて汽車の中の宝石箱を奪うというコメディであり、泥棒→逃げる、という常識的因果関係によって起動した運動は泥棒たちの手際のよい盗難行為が撮られてから馬車で逃げる泥棒たちとそれを自転車で追いかける被害者との「追っかけ」が2ショット弱だけ撮られているが目的は泥棒たちの手慣れた常習犯的運動であり「追っかけ」はお約束的に撮られている。「追っかけ」を撮るにしても泥棒の常習犯の運動を撮ることが目的ならば泥棒して逃げる者にスキルを付与するのは当然の流れでありさらにこの作品は全編をコメディタッチで撮ることで滑稽な「追っかけ」を職業運動の過程に同化させている。
★「Les Incendiaires(放火犯)」(1906)
フランスのジョルジュ・メリエスによって撮られているこの作品では放火する→逃げる、という常識的因果関係によって起動した追跡運動の過程で起伏のある谷を駆け抜ける障害物競走が1ショットの「追っかけ」で撮られている。放火する、アジトで逃げる支度をする→逃げる、という手慣れた職業運動の撮られた作品でありメリエスには珍しいロケーションとそれによる「追っかけ」障害物競走が撮られている。この時期、メリエスですら無視することのできない勢いが「追っかけ」障害物競走にはあったのかも知れない。
★「A Winter Straw Ride(冬のソリ遊び)」(1906.4)
エジソン社でウォレス・マカッチョン・シニアとエドゥイン・S・ポーター共同監督によって撮られているこの作品は女学生たちに雪を投げつけた男子たちが雪道を笑いながら追いかけてくる大勢の女学生たちに追いかけられて捕まるという物語であり、雪をぶつける→追いかけられるという常識的因果関係によって起動した逃げること、追いかけることの運動が、柵を乗り越え、雪の斜面を走り下り、雪の崖を滑り降りる障害物競走によって撮られた雪国バージョンの「追っかけ」障害物競走が撮られている。雪を地面に設定することで逃げる者も追いかける者も走ることのスキルを喪失した (純粋な)巻き込まれ運動が撮られている。
★「Le Fils du garde chasse(猟場番人の息子)」(1906.4.20デンマーク)
フランスのアリス・ガイによって撮られているこの作品は2人の密猟者たちに狩猟番人の父親を殺された息子が密漁者たちを追いかけ酒場の女が呼んだ警官たちに一人は逮捕されもう一人は息子に追われて転落死するという物語であり、密漁して殺す→逃げる、追いかける、という常識的因果関係によって起動する運動は、岩山を駆け下り、斜面で木の枝に引っかかって転び、谷に掛けられた丸太の橋を渡り(父親はここで落下する)、さらにまた斜面を駆け下り、岩を飛び越える障害物競走が5ショットの「追っかけ」とともに撮られているが障害物競走に滑稽な契機は乏しくシリアスな職業運動として撮られている。
★「The Terrible Kids(恐ろしい子供たち)」(1906.5.1)
ウォレス・マカッチョン・シニアとエドゥイン・S・ポーターの共同監督の作品であり犬を使って街でいたずらをする子供たちが大人たちに追いかけられる(みんなで笑って追いかけること)というこの作品はいたずらをする→逃げる、追いかけられるという常識的因果関係によって起動する逃げること、追いかけることを目的とした「追っかけ」障害物競走であり、塀を乗り越え、ロープを飛び越え、斜面を転げ登り(逆回し)、電車を通り抜けて窓から飛び降り、一度は捕まるが犬に助けられて再び逃走して逃げ切っている。ただ、ここでも逃げている子供たちのスキルによって追ってくるスキルのない大人たちを待ち伏せてロープにひっかけて転ばせいるように追いかけられることが想定されており、仮にそれは「大列車強盗」(1903.12.7)で強盗団が予め森の中に馬を隠しておいていたような職業運動だとしても追いかけられることを予期した運動は知的であり常習犯の醸し出す衝動的な手際の良さではない。さらに飼い慣らされ決してしくじることのない「超人的」な犬と逆回しもまた巻き込まれ運動を阻害している。
★「La Course à la perruque(かつらを追いかける)」(1906.5.11)
フランスのジョルジュ・ハトとアンドレ・ユゼの共同監督で撮られているこの作品は居眠りしていた女のかつらと風船を子供たちがいたずらで結び付けてかつらが空へ飛んでいきそれをみんなで追いかけるという作品であり、子供のいたずらによってかつらが空を飛ぶ→追いかけるという常識的因果関係によって起動し、追いかける者たちは物売りたちとぶつかって転倒し、橋を飛び降り、電柱にのぼり、エッフェル塔を駆け上がってから駆け下り、遊覧船で追いかけ、二階建て馬車から梯子で二階の窓を潜り抜けて民家を通り抜け、煙突の中を上りあがるという障害物競走が2ショットの「追っかけ」と共に撮られている。かつらを飛ばされた女性にとっては巻き込まれ運動だが空飛ぶ風船を追いかけるという運動は子供のいたずらによってなされている。ここでもまた少年のいたずらによって「追っかけ」が起動しているが「いたずらもの」は基本的に追いかけられることとその後の「追っかけ」を予期していることから弾け飛ぶことの運動である巻き込まれ運動とは極めて相性が悪い。「交際欄」(1904.8.8)で結婚広告を出したあの男は逃げることを想定して待ち合わせ場所に行ったわけではないように巻き込まれ運動は不可抗力によって起動した「逃げること」そのものを撮る運動でありこの風船のように逃げる者を「超人的」とした場合、逃げることの運動性(サスペンス)を失わせることになる。
★ここでおさらい
巻き込まれ運動はマクガフィンが強いほど=運動の理由がなければないほど=そのマクガフィンによって起動する運動は前後の因果関係から解き放たれて露呈する。しかし理由のない運動は余りにもキツ過ぎるというので巻き込まれ運動は職業運動における、泥棒をする→逃げる、という常識的因果関係に仮構して撮られようになる。ただこの場合でもその泥棒が常習犯であるならば、泥棒の「泥棒すること」それ自体に衝動によって泥棒をすることを余儀なくされるという不可抗力の契機が内包し、また泥棒にとって「逃げること」は想定外の出来事でありあわよくば見つからずに逃げてしまいたいところが見つかってしまい逃げることを余儀なくされるという不可抗力の契機がここにも残されている。不可抗力とは運動の起動に意志(望むこと)がないことでありそれによって意志を失った運動は予期せぬ運動として弾け飛び拡散する。だが「いたずらもの」におけるいたずらは追いかけられることを想定している愉快犯であるため予期せぬ運動という不確定性が失われそこに特撮や超人性が加わることで運動がステレオタイプに画一化される。これが「初犯」であり知的な契機が混入するとによって運動は失速する。ヒッチコック「ロープ(ROPE)」(1948.8.26)のファーリー・グレンジャーとジョン・ドルー、「ダイヤルMを廻せ!(DIAL M FOR MURDER)」(1954.2.4)のレイ・ミランドなどがこうした「初犯」であり(ヒッチコック論文参照)、ヒッチコックにすらこうしたことが起こりうるのであるから未だジャンルも定かでなく運動も不確定な初期映画の巻き込まれ運動においてこうしたことが起こるのは当然でもある。
★「Life of a Cowboy(カウボーイの生活)」(1906.6)
エドゥイン・S・ポーター「Life of a~」シリーズのカウボーイ版であり、カウボーイが酔っぱらいのインディアンを酒場から叩き出し、馬に乗ったまま酒場の中に入って来てイギリス人(?)たちの足元に銃を撃ってダンスさせ、馬に乗ったままカウンターで酒を飲み、駅馬車でやって来た貴婦人をもてなす傍らイギリス人の尻を叩き、投げ縄のデモンストレーションをしてから喧嘩をし、インディアンに襲われた駅馬車の貴婦人を救出し、その後、恨みを持った男にカウボーイが銃で狙われるがインディアンの娘が男を撃ってカウボーイは助けられるという出来事が、断片的なドキュメンタリータッチで撮られている。インディアンたちが駅馬車を追いかけて女を奪いそのインディアンたちをカウボーイたちが延々と追いかけるシーンが7ショットの「追っかけ」と馬車や馬が斜面や崖を下るシーンの2ショットの障害物競走によって撮られている。その途中、女を奪ったインディアンたちが小石のむき出しになった小川を馬で恐る恐る渡るシーンが撮られている。これは追われていない状況で撮られたひとつのシーンだが、「小さな列車強盗」(1905.9.1)で検討したようにその後の西部劇で当たり前のように見ることのできる馬で小川を横切るシーンは障害物競走の名残りであることがこうしたシーンに現れている。ここでもまたポーターは投げ縄のデモンストレーションを延々と撮り続けて手慣れた職業運動の断片的反復を撮りながら「列車破壊者」(1905.11.27)のように、あるいは多くの作品で撮り続けているダンスシーンのように、少々物語的文脈からはずれていても「良いシーン」を延々と撮ってしまう傾向を示しておりハワード・ホークスへと通じる職業運動の映画史において極めて重要な細部をなしている。
★「GETTING EVIDENCE(証拠を手に入れる)」(1906.6)
今度はエドゥイン・S・ポーターの探偵ものだが、男から妻の浮気写真を撮るように依頼された探偵(ポール・パンツァー)はその都度妨害されて写真を撮れずやっと撮れた写真は人違いだったというコメディであり、探偵の依頼→写真を撮る、という常識的因果関係によって起動する運動だが、目的として撮られているのは手押し車は人を乗せるため、車は人を轢くため、ソーダ水は人の顔にかけるため、ゴルフボールは人の顔にぶつけるため、写真機は爆発するため、といったスラップスティックコメディであり、終盤、思い出したように2ショットの延々と追いかける「追っかけ」障害物競走が始まることも含めて探偵という職業運動に仮構したスラップスティックコメディが撮られている。
★「WAITING AT THE CHURCH(教会で待つ)」(1906.7)
これもエドゥイン・S・ポーターだが、結婚しようとした女が子だくさんであることを知った詐欺師の男が教会の窓から逃げ出し女子供に追いかけられるという物語であり、結婚すること→子だくさん→逃げること、という非常識的因果関係によって起動する逃げること、追いかけることの「追っかけ」が3ショット延々と撮られており追いかけている女と子供たちはみんなで笑って追いかけていることから、逃げること、追いかけることを目的としたスキル喪失運動が撮られている。ただ、結婚するまでの詐欺師の職業運動が前半に事細かに撮られていることから結婚することはまったきマクガフィンではなく、あるいはマクガフィンを延々と撮ることでその後の逃げることを引き立てるという「キートンのセブン・チャンス(SEVEN CHANCES)」(1925)と似た構造の作品となっている。もはや「追っかけ」のみを目的として撮ることは困難な時代が到来している。
★「Kathleen Mavourneen(愛しのキャスリ-ン)」(1906.8)
ある特定の時期からポーターとマカッチョンの重要性を認識して以来、ポーターとマカッチョンの作品を意図的に探した時期もあるものの、基本的にはYouTubeをランダムに見ていく結果としてこの初期映画における活劇にはマカッチョンとポーターが極めて多くヒットするに過ぎない。特に「有名な」ポーターの作品は数多くYouTubeにアップロードされておりこうした人間の作為を無化させることは不可能だがそれも含めて可能な限りランダムに見ることによってそうした作為を和らげるようにしている。さて、借家人の娘をものにしようとする地主は娘を誘拐するが浮浪者に変装した娘の恋人によって叩きのめされ娘と恋人は結婚式を挙げるという物語だが、序盤、地主の横暴に怒った農民たちが地主の肩を持つ警官たちを追いかける常識的因果関係による「追っかけ」障害物競走がいきなり開始され警官たちは這う這うの体で逃げてこの「追っかけ」は終わるのだが、その前後はシリアスな人間運動が撮られて終わるこの作品においてまるでお約束でもあるかのようにいきなり3ショットだけ入ってくるこの「追っかけ」障害物競走は物語の過程に溶け込めていない。結婚式のダンスシーンを延々と撮るなどポーターらしい物語からの逸脱も見られている。
★「Chiens Contrabandier(密輸業者の犬)」(1906.10.16)
フランスのジョルジュ・ハトによって撮られているこの作品は密輸団が密輸のために訓練された犬を警官たちが追いかけるという物語だが、密輸する→訓練された犬が逃げる、追いかけるという常識的因果関係によって開始された運動が斜面を駆け下り、崖を飛び降り、小さな岩穴を潜り抜け、汽車の通過する線路を渡り、という障害物競走が5ショットの「追っかけ」と共に撮られている。ここで密輸という犯罪は「追っかけ」障害物競走を起動させるマクガフィンに過ぎず障害物を見事に突破する犬たちと障害物に引っかかり戸惑う警官たちとの「追っかけ(ないしは犬の単独)」障害物競走が延々と目的として撮られている。ただ、ここでも「恐ろしい子供たち」(1906.5.1)同様、人間ではなく訓練された「超人的」な犬が追いかけてくる者たちを翻弄して巻き込むという逆転現象が起きている。巻き込まれ運動ではなく犬の手慣れた職業運動が撮られている。
★「Les Débuts d‘un chauffeur(経験の浅い運転手)」(1906.11.24)
同じくフランスのジョルジュ・ハトによって撮られているこの作品は経験の浅い運転手が道行く人々を不可抗力でなぎ倒し被害にあった者たちがみんなで車を追いかけ最後は車から男を引きずり降ろし袋叩きにするという被害撒き散らし型の「追っかけ」を目的として撮られた作品であり「追っかけ」が8ショット撮られている、初心者が車を運転すること→ぶつけること→追いかけられることという常識的因果関係によって起動しているが、車をぶつけられて追いかけている者たちのみならず運転手もまた運転のスキルを欠くことから自身も事故に巻き込まれているのであり、こうした有様はD・W・グリフィス「The Curtain Pole(カーテンポール)」(1908/1909.2.13)と通底している。グリフィスがデビュー間もない時期に撮っている「カーテンポール」は主人公のマック・セネットが招待されたパーティでカーテンポールが折れたので屋敷の女主人の歓心を買おうと颯爽とカーテンポールを買いに行った帰り道、不可抗力で道行く人々をカーテンポールでなぎ倒しみんなに追いかけられるという被害撒き散らし型の「追っかけ」障害物競走であり被害を撒き散らしている者も一緒に巻き込まれているということにおいて「経験の浅い運転手」と共通している。ただ、「経験の浅い運転手」は初心者が車を運転する→ぶつける→追いかけられるという常識的因果関係によって起動しているのに対して「カーテンポール」はカーテンポールが折れる→道行く人々をなぎ倒す→逃げるという極限の非常識的因果関係によって撮られていることにおいてその巻き込まれ度(ばかばかしさ)には雲泥の差がある
■1906年を振り返る
■職業運動の常習犯が撮られている作品
★「追っかけ」が撮られている作品
●障害物競走が撮られている作品
▲笑って追いかけることが撮られている作品
赤の題名は純粋な巻き込まれ運動
■★「宝石の神秘」(1906) 仏 不明。「追っかけ」2ショット。
★●「放火犯」(1906)仏ジョルジュ・メリエス。「追っかけ」1ショット。
★●▲「冬のソリ遊び」(1906.4)米マカッチョン、ポーター共同監督。「追っかけ」4ショット。
■★●「猟場番人の息子」(1906.4.20デンマーク)仏 アリス・ガイ。シリアスな「追っかけ」5ショット。
★●▲「恐ろしい子供たち」(1906.5.1)米マカッチョン、ポーター共同監督。いたずら。逆回し。犬。「追っかけ」2ショット。
★●▲「かつらを追いかける」(1906.5.11)仏ハト、ユゼ共同監督。いたずらもの。「追っかけ」2ショット。民家を通り抜ける。
■★●「カウボーイの生活」(1906.6)米 ポーター。「追っかけ」7ショット。
★●▲「証拠を手に入れる)」(1906.6)米 ポーター。「追っかけ」2ショット
★▲「教会で待つ」(1906.7)米 ポーター。「追っかけ」3ショット。
★●▲「愛しのキャスリ-ン」(1906.8)米 ポーター「追っかけ」3ショット
★●「密輸業者の犬」(1906.10.16)仏 ジョルジュ・ハト。犬。「追っかけ」5ショット。
★「経験の浅い運転手」(1906.11.24)仏 ジョルジュ・ハト
後半あたりからポーターの「証拠を手に入れる」(1906.6)「教会で待つ」(1906.7)、「愛しのキャスリ-ン」(1906.8)のように「追っかけ」が目的ではなくお約束のように(パロディのように)数ショットだけ「追っかけ」が撮られている作品が撮られ始めている。しかし「追っかけ」を目的として撮られている作品は未だ多くまた延々と追いかけることが撮られている作品もあることから「追っかけ」そのことが衰退しているわけではない。ただ1905年と同じように「追っかけ」を物語の過程に織り込むことの苦心が見られている。
1907年
★「Le Tic(チック症)」(1907)
フランスのロメオ・ボゼッティによって撮られたこの作品はパリを訪れたカップルの娘のチック症の痙攣を見た男たちが誘われていると勘違いしてみんなで歩いて追いかけるという運動であり、表向きは、①誘われている→②追いかける、という常識的因果関係によって起動していながら実際は誘われていないことから①がなくなり②が宙づりになるという非常識的因果関係ともいえる。女は巻き込まれていることを知らないので逃げているわけではなく厳密には「追っかけ」ではないものの、泥棒やいたずらによる逃走追跡とは違い誘われたと勘違いした男たちが巻き込まれていることを知らない女を歩きながら追いかけてゆくいかにもフランス流の上品な「追っかけ」変形型が7ショット撮られておりある種の被害撒き散らし型でもある。最後になって男たちは走り出すが走ることの「追っかけ」が歩くことへとアレンジされていることに「追っかけ」の衰退を見ることができるかもしれない。歩いて追いかける傾向は同じフランスの「Les Vieux marcheurs(老人たちの行進)」(1907.1.23デンマーク)、さらにルイ・フイヤード「Une dame vraiment bien(とっても素敵な女性)」(1908.10.8)によって踏襲されている。
★「Le Gendarme a du flair(鼻の利く警官)」(1907)
フランスのパテで撮られた監督不明のこの作品は歩き疲れた警官が脱いだブーツを盗んだ男が行く先々でブーツの悪臭で人々を卒倒させ警官はその臭いを頼りに犯人を追いつめブーツを取り戻すという作品でありブーツを盗む→追いかけるという常識的因果関係によって起動する運動は3ショットの「追っかけ」によって撮られているが目的は「追っかけ」ではなくその途中で寄り道をした男の持っているブーツの臭いを嗅いだ人々が卒倒して倒れるコメディにある。
★「Les Faux monnayeurs(偽造者)」(1907.1.9デンマーク)
フランスのルシアン・ノンゲによって撮られているこの作品は、パイプをふかした刑事が上司から偽札偽造団摘発の命令を受けて捜査を開始し偽金を使う犯人を見つけて自転車で尾行して一人を捕まえ、警官に車を呼んで来させて犯人たちを追いかけアジトを突き止めると突入する前に警官たちに銃がちゃんと起動するかを確認させてから二手に分かれて突入し1人を捕まえその男に銃を突き付けて秘密の出口を白状させ犯人たちのおこした煙に巻かれながらも抜け出し馬車で逃げる犯人たちを駆けつけた車に乗って追いかけ(「追っかけ」1ショット)馬車から転落して起き上がれない犯人を射殺しさらに森の斜面を逃走する男を追いかけ(「追っかけ」障害物競走1ショット)、崖を上ってゆく(障害物競走)犯人に警官一人を射殺されながらも橋の上に追い詰め、逃げ場を失った犯人はみずから銃で自殺する、という流れであり、刑事の手慣れた職業運動が反復されて撮られており「追っかけ」もまたこのシリアスな職業運動の過程に溶け込んでいる。また刑事が主役となって犯罪者を追いつめてゆく犯罪活劇の「起源」でもあり連続活劇のような手慣れた運動を見ることができる。
★「La Course des sergents de ville(警官たちの逃走)」(1907.1.15)
フランスのフェルディナンド・ゼッカによって撮られたこの作品は店先から肉をくわえて逃げた犬を警官たちがみんなで追いかけ犬小屋まで追い詰めるが逆上した犬に追いかけられて警察署に逃げ込む、という物語である。野良犬が店先の肉を食べる運動は多くの場合、逃げる、という運動を起動させる常識的因果関係のように見えるが、この犬は「恐ろしい子供たち」(1906.5.1)、「密輸業者の犬」(1906.10.16)においていたずらや犯罪に利用された訓練されている「超人的」な犬ではなく野良犬であることから何をするかわからないという非常識さに包まれており、だからこそこの犬は、肉をくわえる→逃げること、の常識的な運動をしたあと、追いつめられると逆上して警官たちを追いかけ返すという非常識な行動に出るのであり、その瞬間から警官たちの巻き込まれ度は増大し予測不可能な非常識的因果関係に包まれることになる。追いかけている警官たちは到底そのスキルを想像させることのない滑稽な身振り手振りで笑いながら犬を追いかけていて、階段を駆け下り、狭い通路を潜り抜け、アパートの壁をよじ登り(特撮)、屋根から滑り落ち、壁を伝い下り(特撮)、窓から入ってベッドの男を飛び踏み潰して民家を通り抜け、ポールにしがみつき、柵を乗り越えようとして果たせず、警察署の狭い扉におしくらまんじゅうで押しのけ入るという障害物競走によって滑稽化されている。さらに逃げている警官が犬に追い越されても犬を追いかけて走り続けるという荒唐無稽の事態に至っては8ショット撮られている「追っかけ」と相まってこの作品が逃げること、追いかけることそのことを目的として撮られていることが明らかになる。ただこの作品で巻き込まれているのは逃げている犬ではなく警官たちであること、特撮が使われていることなどにおいてまったき非スキル運動によって巻き込まれている「交際欄」(1904.8.8)、「ロストチャイルド」(1904.10)とは違っている。
★「Les Vieux marcheurs(老人たちの行進)」(1907.1.23デンマーク)
フランスのパテで撮られた監督不明のこの作品では早速「チック症)」(1907)の「リメイク」が撮られ街を歩いてゆく美しい女を老人たちがひたすら歩いて追いかけてゆく変則的「追っかけ」が9ショット撮られている。老人たちは息切れをおこしながら女について行き二階建ての馬車に乗ること自体が障害物競走になるというアイデアもフランス人らしい。
★「Les Femmes cochers(馬車女たち)」(1907.2.15)
フランスで撮られた監督不明のこの作品では飲んだくれの馬車タクシーの夫を殴り倒し代わりに御者となった妻が道々被害を撒き散らしてゆく作品であり馬車を馬車で追いかける「追っかけ」も3ショット撮られているが実にスローな展開であり、殴る、蹴る、転ぶ、のスラップスティックコメディが目的として撮られている。
★「Course à la saucisse(ソーセージレース)」(1907.3)
フランスのアリス・ガイが店先のソーセージをくわえて逃げた犬をみんなで笑って追いかけるという「警官たちの逃走」(1907.1.15)の「リメイク」を早速撮っている。これが初期映画の常識でありここまで盗用の連鎖を見てくるとジャンルが整う前にはこうした剽窃が必要ですらあるとすら感じさせてくれる。ここでは野良犬がソーセージを盗む→追いかけるという常識的因果関係をマクガフィンとして運動が起動し、追いかける者たちは時に笑いながら柵をくぐり飛び越え、ペンキ屋とぶつかり、乳母車につまずいて転び、荷台にぶつかり、斜面を転げ落ちて荷車にぶつかり、輪をくぐり飛び、窓を潜り抜けて民家を通り抜け抵抗に遭って枕の羽で真っ白になるというが4ショットの「追っかけ」障害物競走の被害撒き散らし型がそのこととして撮られている。何をしでかすか分からないという無表情な野良犬の醸し出す意外性が追かける者たちの巻き込まれ運動を加速させている。ただ「警官たちの逃走」(1907.1.15)と同じように逃げている犬に逃走のスキルがあることにおいて巻き込まれ運動そのものからは離れている。
★「THE TEDDY BEARS(テディ・ベア)」(1907.3.2)
マカッチョンとポーターの共同監督で撮られているこの作品は、森の中の熊の家にこっそり入ったコルディロックスという少女が置いてあったテディベアを抱いてベッドで眠っていると熊の家族(着ぐるみ)が帰ってきたので窓から逃げて雪原を逃走し追いかけて来た熊の夫婦を居合わせた漁師(ルーズベルトをイメージしている)が射殺し熊の子供を捕まえて家に連れ帰りテディベアをたくさん手に入れるという物語であり、終盤、雪道における3ショットの「追っかけ」が撮られ、そこでは雪道に足を取られ転びながら雪の斜面を滑り台のように滑り降りる障害物競走によって少女も熊もスキルを喪失した巻き込まれ運動が撮られているが、着ぐるみの熊が追いかけていることにアレンジの苦心が見られている。
★「His First Ride (初めての自転車)」(1907.3.29)
アメリカでのちに西部劇のスターとなるブロンコビリー・アンダーソンがジョルジュ・ハト「経験の浅い運転手」(1906.11.24)などに触発されたかのように、自動車ではなく自転車の初心者が道々被害を撒き散らしてゆくこの作品は自転車の名人の男がわざと下手な運転をして通行人に衝突しアクロバチックに転倒する障害物競走を反復させているのだが、そこには初心者が不可抗力によって衝突して巻き込まれるという滑稽な巻き込まれ運動の契機が見られないばかりか、3ショットほど「追っかけ」のように撮られている逃げること、追いかけることという運動が中途半端にしか撮られておらずアクロバチックに衝突するという「はしっこ」だけが誇示されている。これは運動の勘違いであり違うことを撮ろうとしたことによる失敗例ではあるがこうした出来事に純粋な「追っかけ」が撮られなくなってきている傾向を見出すこともできるかも知れない。
★「That Fatal Sneeze(致命的なくしゃみ)」(1907.6)
イギリスのルーウィン・フィッツハモンによって撮られているこの作品は叔父が甥に胡椒(コショウ)を振りかけくしゃみをさせて大喜びしているとその夜、甥は叔父の眠っている寝室へ忍び込み叔父の身の回りの日用品にコショウをふりかけ叔父はくしゃみが止まらずそのまま外へ出て振動で街中を破壊して被害を撒き散らし(被害撒き散らし型)被害者たちみんなに(笑いながら)追いかけられるという運動であり、くしゃみをする→逃げる、という、ここだけ抜き出せば、非常識的因果関係によって起動し不可抗力のくしゃみによってみずからも巻き込まれるという巻き込まれ運動が撮られているように見えるがそのしゃみの原因が甥による故意のいたずらであることにおいて常識的因果関係の枠を超えることはなく他の「いたずらもの」と同じように甥は叔父のあとをついて行ってほくそ笑んでいるのでありここにも想定内の現象が見られている。「追っかけ」は短いのが4回、障害物競走も逃げる叔父が二階の窓を潜り抜け追いかけようとした者たちが梯子から転落するくらいで趣旨としては撮られておらず、むしろ、くしゃみ→振動で物が崩れ落ちる、という因果関係が重視されていて「追っかけ」そのものは目的として撮られていない。
★「Cohen‘s Fire Sale (コーエンのファイヤーセール)」(1907.6.29)
マカッチョンとポーター共同監督のこの作品は店先に置いた帽子をゴミ収集人に間違って持っていかれた帽子屋のユダヤ人店主が収集車から落ちた帽子を奪い合って拾う通行人たちから帽子を奪い返しながら追いかけてゆき、その後、損失を被った店主は店に放火し「火事セール」で大儲けするという物語であり、帽子を持っていかれる→追いかける、という常識的因果関係によって起動する運動は帽子を拾って喜ぶ少女や女たちから店主が帽子を奪い返してゆく過程でその女たちが障害物となって店主を妨害するという趣向を変えた障害物競走であり「追っかけ」も撮られずまたこの追跡運動は前半だけで終わり後半は店主が店に放火してファイヤーセールで大儲けするというまったく違った運動へと変わっている。ここにはポーターとマカッチョンという「追っかけ」障害物競走のエキスパートたちが純粋な「追っかけ」をアレンジしそれとは違った運動を加味させようとしていることが見えている。序盤、路上でダンスをしている少女たちを延々と撮り続けているのはおそらくポーターの発案によるものだと推測される。
★「THE RIVALS (ライバルたち)」(1907.9.7)
ポーターの撮ったこの作品では「追っかけ」に近いショットが1ショット撮られているが追いかけている二人が途中で追いかけるのをやめてしまい「追っかけ」は成立していない。「追っかけ」でも活劇でもなくここに挙げられるべき作品ではないがポーターもこのような作品を撮り始めているということにおいて重要ではある。
★「La Grève des nourrices(看護師たちのストライキ)」(1907.9.13)
フランスのアンドレ・ユゼによって撮られているこの作品は看護師たちのストライキが警官たちとの格闘によるスラップスティックコメディとして撮られているが終盤、常識的因果関係における「追っかけ」が2ショット、それに絡んで障害物競走が1ショット、お約束のようにいきなり撮られている。
★「An Acadian Elopement(アルカディアの駆落ち)」(1907.9.16)
アメリカのヴァイタグラフでオーティス・M・ゴーブとO.L.プーアの共同監督で撮られているこの作品には男が女と駆け落ちして結婚した新婚旅行の道々、新郎が通りすがりの者たちとドキュメンタリータッチの生々しい喧嘩をしながら花嫁の実家に到着するまでが撮られている。喧嘩っ早い新郎が何度も喧嘩を反復させるという人間運動の常習犯が撮られた作品であり非常にリアルな喧嘩が幾つも撮られたあと民衆に捕まり連行される新郎のあとをいきなり女子供たちが笑って追いかけるショットが撮られている。このいきなり撮られた1ショットの「追っかけ」はこのシリアスな作品の中で場違いに浮き立っている(水と油)。
★「Jack the Kisser(キス魔のジャック)」(1907.10.19)
ポーターのこの作品は男が道行く女性たちにいきなりキスをするという作品だが、男はキスをして逃げるのではなくそのまま逆に女性を追いかけたり女性たちは何もせず立ち去ったりしていて本来ならば追いかけるべき被害者たちが追いかけないという事態が発生しており「追っかけ」は中途半端なのが1ショットしか撮られていない。ポーターがこの作品を撮るに至っては「追っかけ」は消滅の危機に晒されている。
■1907年を振り返る
■職業運動の常習犯が撮られている作品
★「追っかけ」が撮られている作品
●障害物競走が撮られている作品
▲笑って追いかけることが撮られている作品
赤の題名は純粋な巻き込まれ運動
★「チック症」(1907)仏 ロメオ・ボゼッティ。歩いて追いかける「追っかけ」7ショット。
★「鼻の利く警官」(1907)仏 不明。「追っかけ」3ショット。しかし目的はブーツの臭い
■★●「偽造者」(1907.1.9デンマーク)仏 ルシアン・ノンゲ 「追っかけ」2ショット。刑事の職業運動。
★●▲「警官たちの逃走」(1907.1.15)仏 ゼッカ。野良犬。「追っかけ」8ショット。特撮。民家を通り抜ける。
★●「老人たちの行進」(1907.1.23デンマーク)仏 不明。「追っかけ」9ショット歩いて。
★●「馬車女たち」(1907.2.15)仏 監督不明。スローな「追っかけ」3ショット
★●▲「ソーセージレース」(1907.3)仏アリス・ガイ。野良犬。民家を通り抜ける。「追っかけ」5ショット。
★●「テディ・ベア」(1907.3.2)米 マカッチョン、ポーター共同監督。終盤に「追っかけ」3ショット。
★●「初めての自転車」(1907.3.29) 米ブロンコビリー・アンダーソン。「追っかけ」中途半端3ショット。
★●▲「致命的なくしゃみ」(1907.6)英ルーウィン・フィッツハモン。いたずら。「追っかけ」短く3ショット。
「コーエンのファイヤーセール」(1907.6.29)米 マカッチョン・ポーター共同監督。「追っかけ」なし。
「ライバルたち」(1907.9.7)米 ポーター。「追っかけ」なし。途中で追いかけるのをやめる
★▲「看護師たちのストライキ」(1907.9.13)仏 アンドレ・ユゼ。「追っかけ」1ショット。終盤いきなりお約束で。
■★▲「アルカディアの駆落ち」(1907.9.16)米 オーティス・M・ゴーブ、O.L.プーア共同監督。「追っかけ」1ショット。終盤にお約束のように。水と油。
★「キス魔のジャック」(1907.10.19)米 ポーター。追いかけない。「追っかけ」中途半端1ショット。
イギリスで始まった「追っかけ」はアメリカでひとつの完成を迎えた後、ふたたび欧州へ時間差で飛び火したのか、フランスのロメオ・ボゼッティ、フェルディナンド・ゼッカ、アリス・ガイ、あるいはイギリスのルーウィン・フィッツハモンといった監督たちによって撮られ始めている。しかし純粋な「追っかけ」のみを目的とした映画は次第に撮られなくなり「追っかけ」はお約束として数ショットだけ撮られるだけか、「チック症」、「老人たちの行進」のように歩いて追いかけるか、「馬車女たち」のようなスローな追いかけとなって変貌している。非常識的因果関係による巻き込まれ運動は「警官たちの逃走」などによってそれに近い運動がかろうじて撮られているが多くの場合、職業運動に仮構されるか故意によるいたずらなどが混入していて「交際欄」、「ロストチャイルド」のような意図的な要素を欠いた不可抗力による純粋な巻き込まれ運動はもはや見ることができなくなっている。ポーターによって撮られた「キス魔のジャック」(1907.10.19)はポーター自ら「追っかけ」の終わりを宣言しているような作品でありもはや時代は「追っかけ」から遠く離れている。職業運動では「偽造者」によって刑事が主役の常習犯の「起源」が撮られている。
1908年
この年、D・W・グリフィスが「ドリーの冒険(The Adventures of Dollie)」(1908.7.18)で監督デビューする。その反面、「交際欄」(1904.8.8)のウォレス・マカッチョン・シニアはこの年の後半あたりに病気によって失踪し映画界から姿を消している。
★「Rescued from an Eagle’s Nest (鷹の巣から救われて)」(1908.1.16)
D・W・グリフィスがバイオグラフで俳優デビューしJ・サール・ドーリー監督とキャメラマンエドゥイン・S・ポーターによって撮られているこの作品は、赤ん坊が鷹にさらわれる→逃げる・追いかけること、によって起動する追跡運動だが犬に比べて鷹は獲物を掴んで飛び去ることを常としていることからより常識的な因果関係による起動であり、父親たちの追いかけることの運動は巻き込まれてはいるもののコメディ的要素はなく、その後、父親のD・W・グリフィスたちが空を飛ぶ鷹を追いかけて山道を走るときもリアルな追跡運動として撮られており、逃げること、追いかけることが目的として撮られる「追っかけ」ではなく、父母が子供を取り戻すというシリアスな人間運動の活劇が撮られている。
★「Le Cheval emballé(逃げた馬)」(1908.2.8)
フランスのルイス・J・ガスニエによって撮られているこの作品はアパートの玄関先に置いてあった麦を配達にやってきた洗濯屋の馬車の馬が食べてしまい馬は馬車から主人を振り落として逃走し被害を撒き散らして逃げながらそれをみんなで笑って追いかけるという「追っかけ」が6ショットの障害物競走被害撒き散らし型であり、馬が麦を食べる→逃げる、追いかける、という常識的因果関係として起動する運動が馬車の逆走による特撮を交えながらそのことを目的として撮られている。ここでも逆回しによって逃げる馬が「超人的に」逃げていることから逃げる者にスキルがあり追いかける者にスキルがないという逆転が起きている。D・W・グリフィスはマック・セネット主演「カーテンポール)」(1908/1909.2.13)で馬車の逆回しを撮っているが時期的にこの「逃げた馬」(1908.2.8)と繋がっているかもしれない。
★「The boy detective(少年探偵)」(1908.3.11)
ウォレス・マカッチョン・シニアがエジソンからバイオグラフに戻って撮っているこの作品は新聞売りの少年が女性を付け狙う怪しい二人組を尾行して女性を助けるという探偵物語だが、少年がひとりで尾行すること、走ることが撮られていても「追っかけ」は撮られておらず少年の手慣れた探偵行為が職業運動として撮られている。この時期になるとマカッチョンにおいてすら「追っかけ」は撮られなくなっている。
★「HER FIRST ADVENTURE(彼女の最初の冒険)」(1908.3.18)
もうすぐ病気で映画界から姿を消すことになるマカッチョンはこの年ポーターのいるエジソンからバイオグラフに移転したばかりのD・W・グリフィスを主演にした作品を何本か撮っている。その一本がこの作品でありジプシーに娘を誘拐された父親(グリフィス)が愛犬を放って娘を探させその犬を追いかけて走り続けるという作品であり題名が「HER FIRST ADVENTURE」。7月に監督デビューするグリフィスの処女作もまたジプシーに誘拐された娘を父親たちが探す物語であり題名は「ドリーの冒険(THE ADVENTURES OF DOLLIE)」である。「彼女の最初の冒険」のマカッチョンは、前半は娘と彼女を追いかける犬とグリフィスたちとを平行モンタージュで7回カットバックさせたあと、最後に2ショット、あの延々と走り続ける「追っかけ」を撮りながら、娘を追いかける父親の人間運動を延々と反復させて撮っている。「追っかけ」が廃れた1908年というこの時期に、病気で映画界から姿を消してしまうその直前に、マカッチョンは監督デビュー直前のD・W・グリフィスと遭遇しその後の西部劇で見ることになる「追っかけ」と平行モンタージュをミックスした映画をここで初めて撮っている。マカッチョンが平行モンタージュを撮ったのはこの作品が初めてであり(「起源」)、その後、平行モンタージュで映画界を席巻することになるグリフィスを走らせることでマカッチョンは活劇の幕を下ろしている。この作品の次に撮られた「Caught by Wireless(無線でキャッチ)」(1908.3.21)という素晴らしい細部をしたためたマカッチョンのメロドラマにもグリフィスは主役で出演している(視覚的細部表参照)。
★「Le médecin du château(城の医者)」(1908.3.28 パテ 監督不明)
フランスで撮られているこの監督不明の作品は偽の急患の呼び出しで医者が屋敷を空けた隙に強盗団が医者の妻と娘のいる屋敷に押し入るという物語でありD・W・グリフィスが翌年「LONELY VILLA(淋しい別荘)」(1909.6.5)で「リメイク(剽窃)」している作品でもある。グリフィスはここにクロス・カッティングを付け加えて撮っているが「街の医者」で撮られているのはシリアスな人間ドラマの救出劇であって「追っかけ」は撮られず、強盗団の職業運動と救出に向かう夫の人間運動、そして妻と娘の巻き込まれ運動が平行モンタージュとバスト・ショット、切り返しを駆使した活劇として撮られている。巻き込まれ運動が「追っかけ」から救出劇のサスペンスへと移行しその後のグリフィスもそれを反復させることになる。
★「The Dog Outwits the Kidnapper(犬が誘拐犯を出し抜く)」(1908.4)
イギリスのルーウィン・フィッツハモンによって撮られているこの作品は車で誘拐された娘を犬が追いかけ犬が車を運転して屋敷に帰るという作品であり、「追っかけ」は撮られておらず犬が車を追いかける追跡運動はすべて画面の手前から奥へと走ってゆく逆ショット内モンタージュによって撮られている。ここでの追跡運動には活劇の面影は消えている。
★「INVISIBLE FLUID (見えない液体)」(1908.6.16)
これもまたバイオグラフのウォレス・マカッチョン・シニアだが、見えなくなる液体を手に入れた配達員の少年が道々いろいろなものを消して人々を驚かせ最後はみんなに追いかけられるがみずからを消して逃げ切る、という作品であり、ずっといたずらを撮り続けている物語に終盤、突然みんなで笑って追いかける「追っかけ」が2ショット撮られている。それまで追いかけられないのは人や物が突然消えてしまう出来事が少年の仕業だとは誰も気づかないからであり、この作品は、誰も犯人がわからない「物を消す」といういたずらを撮ることで「追いかけられないこと」を撮っていることになる。「彼女の最初の冒険」(1908.3.18)を撮ってからわずか3か月の出来事であり「交際欄」(1904.8.8)のマカッチョンみずから「追っかけ」に引導を渡したような作品である。
★「Une dame vraiment bien(とっても素敵な女性)」(1908.10.8)
フランスのルイ・フイヤードによって撮られているこの作品は、 道行く美人(レニー・カール)に見とれた通行人の男たちのリアクションが惹き起こすスラップスティックコメディであり、同じくフランスのロメオ・ボセッティによって撮られた「チック症」(1907)、監督不明の「老人たちの行進」(1907)では男たちが女を歩いて追いかけているのに対してここでは見とれているだけで追いかけない。活劇たる「追っかけ」がフランスで一気にソフィスティケートされた感のあるこの作品は「追っかけ」の終焉を現しているのかもしれない。
★「THE BANK ROBBERY (銀行強盗)」(1908.12.28)
アメリカのウィリアム・ティルグマンによって撮られたこの作品は本物の保安官、本物の強盗が演じたドキュメンタリータッチの銀行強盗であり、「追っかけ」が1ショット撮られている。馬で逃げている強盗団の男たちが画面の奥の林の中から姿を現しなだらかな斜面を下り小川をゆっくりと横切りキャメラの横を通り過ぎてゆくと遅れてやって来た強盗団の女が遠くの林から姿を現しゆっくりと川を横切りキャメラの横を通り過ぎ、さらにしばらくすると今度は馬に乗った保安官たちが画面の遠くから姿を現しゆっくりと小川を横切りキャメラの横を通り過ぎる。以上が1ショットで撮られている。ポーター「カウボーイの生活」(1906.6)においては「追っかけ」が7ショット撮られ「追っかけ」ではないシーンにおいてこのようなゆったりと小川を馬で横切るシーンが撮られているがこの「銀行強盗」では「追っかけ」は1ショットとなりその「追っかけ」も従来のそれ自体を目的として撮られた非常識的なものではなくその後の西部劇で見ることのできる馬で小川をさりげなく横切るシーンとして撮られている。この時点で西部劇における「追っかけ」は非常識的因果関係から常識的因果関係の過程へと解消されたと見ることができる。
■1908年を振り返る
■職業運動の常習犯が撮られている作品
★「追っかけ」が撮られている作品
●障害物競走が撮られている作品
▲笑って追いかけることが撮られている作品
赤の題名は純粋な巻き込まれ運動
■「鷹の巣から救われて」(1908.1.16)米 J・サール・ドーリー。撮影エドゥイン・S・ポーター。「追っかけ」なし。
★●▲「逃げた馬」」(1908.2.8)仏ルイス・J・ガスニエ。逆回し1ショット。
■「少年探偵」(1908.3.11)米 マカッチョン。「追っかけ」なし
■★「彼女の最初の冒険」(1908.3.18)米 マカッチョン。「追っかけ」2ショット。出演D・W・グリフィス
「城の医者」(1908.3.28)仏 監督不明 「追っかけ」なし。平行モンタージュによる活劇。
「犬が誘拐犯を出し抜く」(1908.4)英 ルーウィン・フィッツハモン。「追っかけ」なし。逆ショット内モンタージュ。
★▲「見えない液体」(1908.6.16)米 ウォレス・マカッチョン・シニア。追いかけられないことが目的。「追っかけ」はお約束のように2ショット。
「とっても素敵な女性」(1908.10.8)仏ルイ・フイヤード。
■★「銀行強盗」(1908.12.28) 米 ウィリアム・ティルグマン「追っかけ」1ショット
「追っかけ」は劇的に少なくなり時代の変化が現れている。そんな時期にエジソンにD・W・グリフィスが採用され「鷹の巣から救われて」」(1908.1.16)で俳優として映画デビューするがそこでポーターはキャメラマンを務めている。
その後、エジソンからバイオグラフへやってきたD・W・グリフィスは同じく俳優として「HER FIRST ADVENTURE(彼女の最初の冒険)」(1908.3.18)に出演する。監督はウォレス・マカッチョン・シニア。マカッチョンは「追っかけ」を平行モンタージュの過程に解消させながら娘をジプシーに誘拐された父親役のグリフィスを走らせ続けている。これは4か月後に監督デビューするグリフィス「ドリーの冒険(THE ADVENTURES OF DOLLIE)」(1908.7.18)に決定的な影響を与えている。マカッチョンは「AT THE FRENCH BALl(フランスの舞踏会で)」(1908.6.30)を撮ったのち病気で消息を絶ち以降映画史から姿を消し、ポーターは翌年エジソンを離れている。この3人が交わっているのはグリフィスが監督デビューする前のほんの数か月に過ぎないがグリフィスはそこで活劇を創り上げた2人の男と接触している。
1909年
★「The Neighbor’s Kids (近所の子供たち)(1909.1.6)
アメリカのブロンコビリー・アンダーソンによって撮られているこの作品は二人の少女によるいたずらものだがそのいたずらは被害者たちが「気づかないことにする」ことによって成り立っていることから当然ながら逃げることも追いかけることもなく「追っかけ」は撮られていない。マカッチョン「見えない液体」(1908.6.16)に同様にいたずらに気づかないことが=追いかけないこと=が撮られている。
★「The Girl Spy(女スパイ)」(1909.5.21)
アメリカのシドニー・オルコットによって撮られているこの作品は南北戦争で南部の娘がレジスタンスで諜報活動をして敵を混乱に陥れる物語でありこのあと連続物としての続編が幾つも撮られたというその第一作目となる。ここにおいて5ショット撮られている「追っかけ」はその1ショットの時間を短くすることで持続した時間の中でのサスペンスを実現させており、また障害物競走は馬で水しぶきをあげながら小川を横切ること、馬が土煙を巻き上げながら逃走することなどに解消されながらスピーディに撮られている。特に馬で疾走しながら小川を横切る「追っかけ」シーンは障害物競走の滑稽さではなく活劇としてのスピーディなサスペンスに満たされている。連続活劇の起源については1913年アメリカのフランシス・J・グランドン監督「キャスリンの冒険」(セリグ・ポリスコープ社 全13話)、アメリカ初の連続映画はエジソンで撮られたチャールズ・ブラビン監督「メアリーに何が起こったのか(WHAT HAPPENED TO MARY 全12話)」とも言われているがこの「女スパイ」の運動は連続活劇の断片性によるスピードと運動感に満たされている。「追っかけ」が衰退する反面、職業運動の常習犯による活劇が勢いを増している。
★「TWO NAUGHTY BOYS(2人のいたずら少年)」(1909.7)
イギリスのデビッド・エイロットによって撮られているこの作品は二人の少年のいたずらに巻き込まれた大人たちのスラップスティックコメディだが、逃げること、追いかけることは撮られておらずいたずら好きの少年たちのいたずらが引き起こす常識的因果関係とそれに巻き込まれた大人たちの巻き込まれ運動が特撮を交えて撮られているが、少年たちの故意によるいたずらが引き起こす大人たちの運動もまた相手の顔に故意にホースで水をかけるという意図的なものであり不可抗力によってなされるコメディのばかばかしさからは遠ざかっている。
★「The Cowboy Millionaire(百万長者のカウボーイ)」(1909.10.21)
アメリカでフランシス・ボッグスとオーティス・ターナーの共同監督で撮られているこの作品は映画の始めと終盤にカウボーイたちの曲芸、調教がドキュメンタリーで撮られながら(おそらくここに後の西部劇のスターとなる本物のカウボーイのトム・ミックスがいる)、亡くなった叔父の遺産を相続して西部(シカゴ)へ移住したカウボーイ(マック・バーンズ)が出会った女性(エイドリアン・クローエル)と恋に落ち結婚するが裕福な暮らしに耐えきれず西部から呼び寄せた荒くれ者たちがシカゴで大暴れするという物語でありアラン・ドワン「MANHATTAN MADNESS(マンハッタンの狂気)」(1916)、ジョン・フォード「鄙より都会へ(BUCKING BROADWAY)」(1917)などへと続く西部のカウボーイが東部で大暴れするというという物語が撮られている。「追っかけ」は1ショットも撮られていないがここに来てポーター、マカッチョン以外の監督たちによる活劇が見られ始めている。
★「Pickpock ne craint pas les entraves (スリは足かせを恐れない)」(1909.11)
フランスのセグンド・デ・チョモンによって撮れているこの作品は捕まったスリが超人的運動で脱獄するという物語であり「追っかけ」が1ショット撮られているが目的は「追っかけ」ではなく特撮による超人的運動によって逃げ切ることであり「追っかけ」の醸し出すスキル喪失運動の滑稽さは失われている。
★「La corsa alla scimmia (猿のレース)(1909.11.2アメリカ)
イタリアで撮られた監督不明のこの作品は逃げたペットのサル(着ぐるみ)をみんなで追いかけるという物語であり「追っかけ」が4ショット撮られた障害物競走だが、特撮によって「超人的」に逃げている猿にスキルを有さない人間たちが巻き込まれるという逆転現象がここでも現れている。
1909年を振り返る
■職業運動の常習犯が撮られている作品
★「追っかけ」が撮られている作品
●障害物競走が撮られている作品
▲笑って追いかけることが撮られている作品
赤の題名は純粋な巻き込まれ運動
「近所の子供たち」」(1909.1.6)米 ブロンコビリー・アンダーソン。いたずら。「追っかけ」なし。
■「女スパイ」(1909.5.21)米 シドニー・オルコット。「追っかけ」5ショット。
「2人のいたずら少年」(1909.7)英デビッド・エイロット。いたずら。「追っかけ」なし。
■「百万長者のカウボーイ」(1909.10.21)米フランシス・ボッグス・オーティス・ターナー共同監督。「追っかけ」なし
「スリは足かせを恐れない」(1909.11)仏 セグンド・デ・チョモン。「追っかけ」1ショット。超人的運動。
★「猿のレース」(1909.11.2アメリカ)。伊 監督不明。「追っかけ」4ショット。
ここに挙げた「近所の子供たち)」と「2人のいたずら少年」は実際は「追っかけ」ではなくまた活劇性も乏しいことからここに挙げるべき作品ではないが「追っかけ」がいかに衰退したかということの例として挙げられている。1909年は純粋な巻き込まれ運動はもとより「追っかけ」障害物競走もそれ自体を目的とした運動は撮られなくなる。職業運動における「追っかけ」は西部劇において「カウボーイの生活」(1906.6)「銀行強盗」(1908.12.28)、そして「女スパイ」のように馬で走りながら小川を横切るサスペンスとして生まれ変わり「百万長者のカウボーイ」(1909.10.21)はアラン・ドワン、ジョン・フォード、ラオール・ウォルシュといった次世代の者たちの登場を予告しているかのようでもある。時代はマカッチョン=ポータの「二強」時代から次の時代に生まれ変わろうとしている。今回の検討はこの1909年をもって終わりとする。
■D・W・グリフィスについて
ここで先日提出した論文におけるD・W・グリフィスの1908年から1913年までの活劇を「追っかけ」と職業運動に分けて抽出する。「追っかけ」が目的に撮られている作品には★を付けた。また「追っかけ」ではなく追っかけ平行モンタージュの撮られている作品は題名を赤で提示する。
「追っかけ」の撮られている作品
1908年
「ドリーの冒険(The Adventures of Dollie)」(1908.7.18)
★「BALKED AT THE ALTER(祭壇で思い止まる)」(1908.8.29)
「THE CALL OF THE WILD(野生の叫び声)」(1908.10.31)
★「The Curtain Pole(カーテンポール)」(1908/1909.2.13)
1909年
★「THE PEACHBASKET HAT(ピーチバスケットハット)」(1909.6.18)
「SWEET AND TWENTY(美しい二十歳)」(1909.7.17)追っかけ平行モンタージュ
「THE MENDED LUTE(繕われたリュート)」(1909.7.31)「追っかけ」5ショット
「1776.OR THE HESSIAN RENEGADES(1776年、またはヘシアンの反逆者)」(1909.9.6)「追っかけ」3ショット
「GIBSON GODDES(ギブソンの女神)」(1909.11.6)歩いて追いかける
「NURSING VIPER(毒蛇の看護)」(1909.11.6)「追っかけ」2ショット
「THE MOUNTAINEER‘S HONOR(山岳民の誇り)」(1909.11.27)追っかけ平行モンタージュ
1910年
「THE TWO BROTHERS(2人の兄弟)」(1910.5.14)「追っかけ」2ショット
「WHAT THE DAISY SAID(雛菊はなんといった?)」(1910.7.16)追っかけ平行モンタージュ
「THE OATH AND THE MAN(誓いと男)」(1910.9.24)追っかけ平行モンタージュ
「THE FUGITIVE(逃亡者)」(1910.11.5)追っかけ平行モンタージュ
「WHEN A MAN LOVES(男が愛する時)」(1910/1911.1.7)追っかけ平行モンタージュ
1911年 すべて追っかけ平行モンタージュ
「THE INDIAN BROTHERS(インディアンの兄弟)」(1911.7.13)、
「FIGHTING BLOOD(戦う血)」(1911.7.1)
「SWORDS AND HEARTS(剣と心)」(1911.9.2)
「THE REVENUE MAN AND
HIS GIRL(税務署員と少女)」(1911.9.23)
「THE SQUAW‘S LOVE(インディアンの女性の恋)」(1911.9.9)
1912年 すべて追っかけ平行モンタージュ
「UNDER BURNING SKIES(燃える空の下で)」(1912.2.27)歩いて追っかけ平行モンタージュ
「少女と彼女の信頼(THE GIRL AND HER TRUST)」(1912.3.23)
1913年
なし
活劇としての職業運動の撮られている作品
1908年
「The Black Viper(黒い毒蛇)」(1908.7.21)
「THE FATAL HOUR(運命の時)」(1908.8.22)クロス・カッティング
「WHERE BREAKERS ROAR(砕ける波の轟くところ)」(1908.9.26)救出劇
「THE CALL OF THE WILD(野生の叫び声)」(1908.10.31)
1909年
「THE GIRLS AND DADDY(姉妹とパパ)」(1909.1.30)救出劇
「THE CORD OF LIFE(命綱)」(1909.1.23)クロス・カッティング
「At The Alter(祭壇にて)」(1909.2.20)クロス・カッティング
「LONELY VILLA(淋しい別荘)」(1909.6.5)クロス・カッティング
「The Indian Runner’s Romance(インディアンランナーのロマンス)」(1909.8.28)クロス・カッティング
1910年
「THE TWO BROTHERS(2人の兄弟)」(1910.5.14)活劇
「iN THE BORDWE STATES(境界州で)」(1910.6.18)クロス・カッティング
「THE CALL TO ARMS(軍隊への招集)」(1910.7.30)クロス・カッティング
「THE HOUSE WITH CLOSED SHUTTERS(シャッターの閉ざされた家)」(1910.8.13)
1911年
「女の叫び(LONEDELE OPERATOR)」(1911.3.15)平行モンタージュ
「THE INDIAN BROTHERS(インディアンの兄弟)」(1911.7.13)
「FIGHTING BLOOD(戦う血)」(1911.7.1)
「THE ROSE OF KENTUCKY(ケンタッキーのバラ)」(1911.8.26)
「SWORDS AND HEARTS(剣と心)(1911.9.2)
「THE REVENUE MAN AND HIS GIRL(税務署員と少女)」(1911.9.23)
「THE ADVENTURES OF BILLY(ビリーの冒険)」(1911.10.14)クロス・カッティング
「THE BATTLE(戦い)」(1911.11.14)
「BILLY‘S STRATAGEM(ビリーの策略)」(1911/1912.2.10)
1912年
「THE MENDER OF NETS(網の修理者)」(1912.2.10)
「UNDER BURNING SKIES(燃える空の下で)」(1912.2.27)
「Lola‘s Promise」(ローラの約束)」(1912.3.9)
「THR GODDES OF SAGEBRUSH GULCH(ヨモギ渓谷の女神)」(1912.3.23)クロス・カッティング
「少女と彼女の信頼(THE GIRL AND HER TRUST)」(1912.3.23)クロス・カッティング
「THE LITTLE TEASE(ちいさな悪)」(1913.4.5)クロス・カッティング
「BEAST AT BAY(追いつめられた野獣)」(1912.5.25)クロス・カッティング
「TEMPORARY TRUCE(一時的な休戦)」(1912.6.8)クロス・カッティング
「MAN‘S GENESIS(人間の創生)」(1912.7.6)
「死の歌(A PUEBLO LEGEND)」(1912.8.24)
「THE INNER CIRCLE(インナーサークル)」(1912.8.10)
「見えざる敵(AN UNSEEN ENEMY)」(1912.9.7)クロス・カッティング
「SO NEAR、YES SO FAR(とても近くて、とても遠い)(1912.9.28)救出劇
「A FEUD IN THE KENTUCKY HILLS(ケンタッキーヒルズの確執)」(1912.9.28)
「ピッグアレイの銃士たち(THE MUSKETEERS OF PIG ALLEY)」(1912.10.26)
「THE MASSACRE(虐殺)」(1912/1914.2.26)クロス・カッティング
1913年
「THE TELEPHONE GIRL AND LADY(電話交換手の娘と貴婦人)」(1913.1.4)クロス・カッティング
「THE WANDERER(放浪者)(1913.4.25)時間を競う
「エルダーブッシュ峡谷の戦い(THE BATTLE AT
ELDERBUSH GULCH)」クロス・カッティング
「ベッスリアの女王(JUDITH OF BETHULIA)」(1914)
■「追っかけ」が目的で撮られているのは「祭壇で思い止まる」(1908.8.29)、「カーテンポール」(1908/1909.2.13)、「ピーチバスケットハット」(1909.6.18)の3本でありすべて非スキル運動の純粋な巻き込まれ運動が撮られている。だが1909年中盤以降、純粋な巻き込まれ運動は撮られなくなり「追っかけ」もまた1910年には既に追っかけ平行モンタージュへとその姿を変えている。対して職業運動(人間運動)の活劇は1913年に長編大作へと移行して製作数が減少するまで確実に増加し続けている。人間のメロドラマを多く撮っているグリフィスだがそれと同じように職業運動による常習犯の活劇も多く中には「ケンタッキーヒルズの確執」(1912.9.28)のような極めて強い常習性をしたためた職業運動の活劇が撮られている。また人間ドラマであってもアクションシーンが極めて多く撮られ「国民の創生(THE BIRTH OF A NATHION)」(1915.2.8)、「イントレランス(INTOLERANCE)」(1916.9.5)、「東への道(WAY DOWN EAST)」(1920)のようにクロス・カッティングによる活劇が主流となってゆく。
■「追っかけ」の誕生
活劇はイギリスのロバート・W・ポール「Footpads(追いはぎたち)」(1895.5)のような職業運動の犯罪アクション映画、あるいはリュミエール「水をかけられた水撒き人」(1895.12.28)などのスラップスティックコメディによって始まりイギリスのジェームス・ウィリアムソン「粉屋と煙突掃除人」 (1897.7) によって「追っかけ」がその姿を現し始めると同じくウィリアムソン「泥棒を止めろ!」(1901.10.15) によって「追っかけ」がショット内モンタージュとキャメラの横を通り過ぎる運動によって形となり同じ日にイギリスで封切られたこれまたウィリアムソン「火事!」(1901.10.15)によって起承転結の職業運動が撮られると、エドゥイン・S・ポーター「アメリカ消防夫の生活」(1902.1)がそれをさらに進めて反復される常習犯的職業運動が撮られる。ここまでを主導しているのはイギリス人でありジェームス・ウィリアムソンの名前が反復されている。さらにそこから活劇はイギリスのフランク・モッターショー「大胆な真昼の強盗」(1903.4)とウィリアム・ハガー「絶望的な密漁事件」によって職業運動とスラップスティックコメディである障害物競走を加味した「追っかけ」が融合し、イギリスのアルフ・コリンズ「スリ」(1903.11)では職業運動に仮構して跳び箱のようなスラップスティック的スキル喪失運動としての障害物競走と「笑ってみんなで(関係ない者たちまで)追いかけること」という滑稽な出来事が付け加えられ、この時点で「追っかけ」と職業運動が融合して撮られるというパターンが確立される。そこへポーター「大列車強盗」(1903.12.7)が登場し、みずから撮った「アメリカ消防夫の生活」(1902.1)をさらに進めてひたすら反復される強盗たちの職業運動が常習犯的手慣れた運動によって撮られることにより活劇はハワード・ホークス的職業運動における前科6犯的常習犯の原型としてひとつの完成を迎えることになる。ところが1904年に入るとウォレス・マカッチョン・シニアによって「逃げた狂人」(1904.1)が撮られそこでは逃げること、追いかけること、を延々と1ショットで撮り続ける運動が障害物競走と融合して登場しここで「追っかけ」はそれ自体が目的とされることが明確化される。一方職業運動はジャック・フローリー「大胆な銀行強盗」(1904.7.30) によって銀行強盗たちの手慣れた常習犯的犯罪行為が撮られ、さらにそこでは強盗犯たちが何かしら憎めないキャラクターとして登場してくる。そして1904年8月8日ウォレス・マカッチョン・シニア「交際欄」が公開される。それによって活劇はまったき職業運動を目的とした常習犯の運動と「追っかけ」障害物競走を目的とした巻き込まれ運動とに大きく分岐する。それまでは強盗、密漁、スリ、看守、自警団などの職業運動の常識的因果関係の過程に抑え込まれていた「追っかけ」が巻き込まれ運動というスキルを喪失した荒唐無稽な非常識的因果関係の過程に放り込まれることで強い運動性を露呈し始める。「交際欄」はその直後、ポーターが「フランス貴族がニューヨーク・ヘラルドの個人コラムを通じて妻を手に入れた方法」」(1904.9)によって間髪入れずに「リメイク」しさらにその作品がアメリカのジークムント・ルビン「噴水で逢いましょう」(1904.11.5)によってもう一度「リメイク」される。彼らはただの盗作犯ではなく常識的因果関係を非常識的因果関係へとひっくり返した運動にすかさず目をつけそれを反復させた異人たちである。だが純粋な巻き込まれ運動の「追っかけ」はマカッチョン「ロストチャイルド」(1904.10)によって撮られはしたもののその後は職業運動とよりを戻し職業運動に仮構しながら人間を動物に置き換えたりどこかに故意の要素が紛れ込んだりする巻き込まれ運動が主流になり純粋な巻き込まれ運動は1904年には既に撮られなくなる。さらにポーター「熱狂的追いかけ」(1904.10.7)によって「追っかけ」の過程で逆回しが撮られ、1905年にはモッターショー「奇妙な強盗」(1905.3)によって逆回し、特撮が撮られるなど「追っかけ」それ自体が他の何かとアレンジされるようになる。結局のところ純粋な巻き込まれ運動の3本はすべてアメリカ人によって撮られておりこうした非常識的因果関係はイギリスやフランスといったヨーロッパの国々には適応しないのかも知れない。それでも職業運動を仮構した「追っかけ」の勢いは続くが1906年頃から衰退の兆しを見せ始め1908年には姿を消し始める。「追っかけ」がジャンルを形成できたのはこの1904年から1908年頃までの短い時期でありその後「追っかけ」は職業運動の過程に追っかけ平行モンタージュへと形を変えて吸収されることになる。
★「追っかけ」の意義
「追っかけ」は強いマクガフィンによって運動を物語の因果関係から解き放ち、映画初期から1ショットの瞬間芸の中に押し込まれていたスラップスティックコメディを障害物競走としてミックスさせ1ショットのショット内モンタージュを反復させることで活劇のジャンルを生成させる。犯罪物語の「起源」である「大胆な真昼の強盗」(1903.4)、「絶望的な密漁事件」(1903.7)で職業運動よりもむしろ「追っかけ」が多く撮られているのは犯罪映画の運動の「起源」が「追っかけ」というショット内モンタージュによって走ることであることを示している。「ラ・シオタ駅への列車の到着」(1895)、「工場の出口」(1895)によって撮られた画面の奥からキャメラへ向かって移動してくる汽車、労働者たちのショット内モンタージュの運動が「火事!」(1901.10.15) 「アメリカ消防夫の生活」(1902.1)では出動する消防車がキャメラの横を通り過ぎるショット内モンタージュとなり「追っかけ」はそれを人間がキャメラへ向かって走ることへと転換させジャンルとしての物語を形成する。人間がキャメラへ向かって走ってくるという運動はその後D・W・グリフィスを始めとして活劇における基本的な運動としてモーションピクチャーに受け継がれている。それは人々がキャメラを正面から見据えることを生み出しさらにD・W・グリフィス論文で検討したようにクローズアップを誕生させている。「絶望的な密漁事件」(1903.7)の2番目のショットで逃げている密猟者が猛スピードでキャメラの横を通り過ぎる時、一瞬、近景でキャメラをはっきりと見つめている。クローズアップとはモーションによって生まれる運動でありその起源は活劇にある。
★動物
「追っかけ」とは元来、逃げること、走ることを目的としていることから物語の因果から逸脱する傾向を有しておりそこに障害物競走が加わることで非人間的、動物的様相を呈するようになる、非常識的な運動でありジョルジュ・ハト「かつらを追いかける」、フェルディナンド・ゼッカ「警官たちの逃走」(1907.1.15)、アリス・ガイ「ソーセージレース」(1907.3)で民家を通り抜けて逃げたのは、風船、野良犬、野良犬であり、人間ではない。理性を有さない物体や動物だからこそ『民家を通り抜ける』という極めて非常識的運動をすることができるのであり、ヒッチコック論文で「動物的である」と検討されたヒッチコック的巻き込まれ運動のケーリー・グラントが「北北西に進路を取れ」でホテルの壁を伝って女の部屋を通り抜けたその運動はまさしく動物的非常識性に包まれている。
★衰退
一本道を延々と逃げ続け追い続ける「追っかけ」は消えてなくなったのではない。グリフィス論文で検討したように「追っかけ」はカットを割った追っかけ平行モンタージュと切り返しによって追跡のサスペンスへと解消されたのであり「追っかけ」それ自体が滅びたわけではない。消え去ったのは「追っかけ」ではない。逆因果関係である。元来「追っかけ」は走ることを逆因果関係によって物語へとつなげるジャンルであり走ることそれ自体が目的として撮られている。「交際欄」(1904.8.8)などの作品では全体が逆因果関係なので目立たないが他の物語を主とした常識的因果関係の過程で「追っかけ」が撮られると既に検討した多くの作品のように「いきなり」、「お約束のように」露呈するといった現象が見られるようになる。ここまで「融合」という言葉を使ってきたが物語と「追っかけ」との関係は融合よりも水と油であり逆因果関係の「追っかけ」は物語から断絶して露呈してしまい物語の常識的因果関係と弾き合う。その後の西部劇、探偵映画などによって見られる逃走と追跡の活劇は遠距離同士の追っかけ平行モンタージュと近距離同士の切り返し、そして逃げる者と追う者とをエスタブリッシング・ショットのように同一画面に収めるための短時間の「追っかけ」などの常識的因果関係のオブラートに包まれた運動によって現れることになり、巻き込まれ運動としての活劇もまた「城の医者」(1908.3.28)などによって「追っかけ」ではなく平行モンタージュへ、さらにグリフィスによってクロス・カッティングによる救出劇へと形を変えていく。「追っかけ」は運動がキツ過ぎる。我々が映画の進化と考えていることの数々は多くの場合、運動の衰退によって成り立っている。
★逆因果関係
映画とは基本的に逆から来るメディアである。ワイズマンであれ小川伸介であれストローブ=ユイレであれ、ちょっと待って、ここはこうしましょう、と介入した瞬間、映画は逆因果関係になる。あるいは構図を決めることそれ自体がすでに逆因果関係かも知れない。視覚的聴覚的細部とは基本的にこの逆因果関係の出来事であり、光、音、装置、小道具、動作、あらゆる作為がそれ自体を目的としてなされるとき逆因果関係を提示することになる。だからこそ露呈するのでありそれがすなわち運動ということになる。自分をひけらかすのではなく運動を興すこと。極めて強い逆因果関係を示す「交際欄」(1904.8.8)のような巻き込まれ運動は逃げるために大勢の女たちが来る必要がありそのために結婚の広告を出す、という、まったき逆因果関係からくる純粋な巻き込まれ運動であり職業運動を仮構していないために職業運動における常識的因果関係をカモフラージュすることができず「追っかけ」だけが宙づりになって露呈してしまう。物語によってジャンルを形成しようとしてもその物語全体が非常識的因果関係であるがゆえに運動だけが露呈して物語なき物語になってしまう。運動とは幼稚なものであり露呈すればするほどその映画は幼稚さを露呈させる。我々は初期映画をひとまとめにして幼稚な映画として見下しているが1910年に到達する以前にすでに幼稚な映画が淘汰される時代が到来している。さらにまた純粋な巻き込まれ運動は我々の慣れ親しんだ職業運動に仮構しないことからマクガフィンなくして起動しえずその運動は無限大に広がりその物語はゼロから作られねばならない。ヒッチコック論文「ハワード・ホークス機能・運動連関表」に示しているように巻き込まれ運動の極致であるハワード・ホークス「赤ちゃん教育(BRINGING UP BABY)」(1938)はラストシーンから逆算して撮られているように見えてしまうくらい視覚的細部に満たされているがそのためには練りに練られた脚本が必要となることもまた逆因果関係の衰退に関わっている。人はアレンジする動物である。「交際欄」という究極の完成形がいきなりポン!と撮られてしまったことがその後の巻き込まれ運動を悩ませたのかも知れない。
★職業運動の意義
職業運動の場合、盗む→逃げる、などの常識的因果関係によって起動し、その運動は追跡、陰謀、裏切り、恋愛、嫉妬、改心、格闘、など、我々の慣れ親しんだ出来事によって成り立っていることから親しみやすく、同時に運動の型が決まっていることから型の決まっていない逆因果関係に比べて遥かに撮りやすい。それを活劇にするにあたり数々のアクションが撮られることになるのだがそこに職業運動の徹底した反復という常習性をもたらしたのはエドゥイン・S・ポーターである。同時に彼は物語から逸脱したダンスシーンを幾つもの作品で撮りまたドキュメンタリータッチの断片的な職業運動を重ねることで「良いシーン」を撮るというモーションピクチャーの基本的なあり方を提示した。「良いシーン」とは物語の因果関係から逸脱しているシーンであり、まず「良いシーン」を幾つか頭に思い浮かべその「あと」から物語を考えるという思考回路で撮られることから「あと」から来る物語は「さき」から来る物語に比べて因果関係がぎくしゃくする。しかしモーションピクチャーとはその本質からして断片的な運動の集積によって成り立つメディアであり物語の因果関係からは基本的に逸脱する傾向を有している。職業運動の反復とは物語を語り尽くすために必要な起承転結の因果関係からは必ずしも必要ではない運動を撮ることでありそれは必然的に物語の因果関係から逸脱することになる。それが「良いシーン」であり断片的な職業運動を集積して撮られているポーターの活劇は巻き込まれ運動とは違った方向において因果関係から逸脱している。そうした観点からもう一度「大列車強盗」(1903.12.7)を見てみると「良いシーン」の集積によって撮られていることが見えてくる。「交際欄」を撮ったマカッチョンの後継者はヒッチコックであり「大列車強盗」のポーターの後継者がハワード・ホークスである。彼らによって創られた活劇はみな常識的因果関係から逸脱している。これが『ヒッチコック・ホークス主義』へとつながってゆく。
★活劇
活劇は走ることから生まれている。そこに逃げること、追いかけることが加味されて「追っかけ」となり、障害物競走、殴ること、蹴ること、投げること、撃つこと、転がること、飛び跳ねること、などのスラップスティックコメディが加味される。ジョン・フォードの殴ることはただ殴るだけでなく椅子や銃で殴ったり倒れこんで机を壊したり見物人を巻き込んで転げたり池の中に飛び込んで水しぶきを上げたりすることを常とし、銃は上から下に大きく振りかざされて煙を撒き散らしながら発射され、投げることにおいては帽子、酒瓶、ライフル、手袋など本来投げることを目的としない物が投げられている。これがスラップスティックであり活劇とは本質的にスラップスティックコメディを内包した強い逆因果関係から起動するアクションによって成り立っている。
★西部劇と「追っかけ」
西部劇を活劇として撮った「大列車強盗」(1903.12.7)では1ショット、馬で逃げる強盗団と追いかける街の者たちとの「追っかけ」が撮られている。なだらかな1本の道で撮られたこの「追っかけ」に障害物競走の契機は希薄だが、同じくポーターによって撮られた「小さな列車強盗」(1905.9.1)では子供たちが馬で逃走するときゆっくりとショット内モンタージュで小川を横切りキャメラの横を通り過ぎ、しばらくしてから、走って追いかけて来た大人たちが画面の奥から現れて小川を横切りキャメラの横を通り過ぎるという「追っかけ」が撮られている。ここで子供たちは岩が剥き出しの小川を馬の脚に気をつけながらゆっくりと横切っている。その後の西部劇において多く撮られることになる『馬で小川を横切る』という運動の「起源」がここに撮られており、またその運動はそのあと徒歩で走って追いかけてきた大人たちが小川の岩に足を取られて転びながら小川を横切っていることからも明らかなように障害物競走の過程に撮られている。その後、またしてもポーター「カウボーイの生活」(1906.6)では女を誘拐したインディアンたちが小石のむき出しになった小川を馬で恐る恐る渡るシーンが撮られている。これは追われていない状況で撮られたシーンだがここでも馬で小川を横切るシーンは障害物をよける過程においてなされている。だがそこに障害物競走の滑稽さはなくむしろ死んだ仲間を馬から川に落とし流すというシリアスな物語の過程において撮られている。さらにアメリカのシドニー・オルコットによって撮られた「女スパイ」(1909.5.21)では「追っかけ」の過程において馬で逃げている女が水しぶきをあげながら猛スピードで小川を横切っているがここでは障害物競走の滑稽さよりもむしろ逃げることと追いかけることのスピーディなサスペンスが1ショットの物語の過程に現れている。西部劇の起源はわからない。ただ西部劇の活劇としての運動性は「追っかけ」障害物競走から来ているように見える。「追っかけ」の走ることは人間の走ることから馬で走ることになり障害物競走がスラップスティックコメディからサスペンスとなることで西部劇が活劇としての運動を獲得する。ジェームズ・クルーズ「幌馬車(THE COVERED WAGON)」(1923/1924.9.8)で馬車が崖を転げ落ちるとき、あるいはジョン・フォード「黄色いリボン(SHE WORE A YELLOW RIBBON)」(1949.10.22)のベン・ジョンソンが馬で谷を飛び越えた時、そこには初期映画における「追っかけ」障害物競走の名残を見ることができる。「大胆な真昼の強盗」(1903.4)によって職業運動を仮構しながら「交際欄」(1904.8.8)によって職業運動から独立する形でジャンルを形成した「追っかけ」はその露呈する運動性の強さに振り回されながら再び職業運動の過程へ解消されることによって受け継がれている。
★見ること
逆因果関係を消し去ることで淘汰されたのは物語ではなく運動である。剥き出しの運動は物語を欲する大衆社会において恐れるべき対象として忌避される。
批評家もこの逆因果関係を見ることができず現在の批評を見たところでこの逆因果関係について述べている批評はまったくない。映画を見る者たちが映画を読んでいるからであり映画を読んでいる限り出てくるのは①→②→③→④の常識的因果関係だけであり④→③→②→①の逆因果関係は現れてこない。我々の世界の因果関係は基本的に泥棒するから逃げる、という常識的因果関係から成り立っており、大衆社会において映画を見る者たち、そしてそれを批評する者たちが知的なインテリ層となればなるほどこの傾向は加速する。運動という映画の中枢を無視しているのだからあらゆる映画誌のベストテンと映画賞がバカでも撮れる作品から順番に埋まっていくのも当然の結末となる。ヒッチコックの巻き込まれ運動は敵スパイの職業運動に仮構して撮られているが職業運動とそれに付随する国家機密などはマクガフィンに過ぎずその中身について批評家たちは外部的(学術的)理由をつけて考察することができない。だからヒッチコックは安っぽく見られ賞をもらえない。
★ヒッチコック・ホークス主義
批評家から受け容れられない映画は大きく2つある。ひとつは非常識的因果関係の強いヒッチコック的(マカッチョン的)巻き込まれ運動であり、もうひとつは常習性の強いハワード・ホークス的運動である。どちらも理由(「起源」)から遠ざかった運動が剝き出しになるために因果関係で映画を読むことしかできない批評家にはさっぱり訳が分からないという事態を招く。映画を起動させるのはマクガフィンでありマクガフィンによって起動する運動は多かれ少なかれ逆因果関係となる。常習性の強い運動とは自己の内部的衝動に巻き込まれて起動する運動であり逆因果関係の極めて強い運動でもある。逆因果関係の傾向は、巻き込まれ運動、常習犯において強くなり、人間ドラマ、メロドラマなどではその傾向は弱くなる。しかし弱くなっても運動は逆因果関係によって起動するので物語を読むことでは現れることはない。運動とはもともと理由のない非常識的なるものであり見ることによって現れてくる。
★喜劇映画
喜劇の父と言われるマック・セネットがグリフィスに採用されてバイオグラフに入社したのは1908年である。1908年とは既に喜劇映画の「起源」としての「追っかけ」障害物競走は廃れ巻き込まれ映画も撮られなくなった時期でありその1908年にセネットはグリフィスが監督する「カーテンポール」という究極の巻き込まれ運動に出演しているがこれをしてセネットが「喜劇映画の父」と言われているわけではないだろう。グリフィスにしても1908年の監督デビュー当時すでに廃れているはずの純粋な巻き込まれ運動を「祭壇で思い止まる」(1908.8.29)、「カーテンポール」(1908/1909.2.13)、「ピーチバスケットハット」(1909.6.18)によって撮っているが1908年という数字は「喜劇の父」が映画を撮り始める時間としては余りにも遅すぎ「映画の父」のグリフィスが映画を撮り始める時期としても早いとは言い難い。セネットとのあと、1909年にアーバックル、1914年にチャップリン、1917年にキートンがデビューしているがそれは「追っかけ」も障害物競走も巻き込まれ運動も純粋なそれとしては大衆から見放されたあとの出来事である。我々は初期映画をひとつの古き良きドタバタコメディとひとまとめにし「この時代にしては、、」「当時としては、、、」と上から目線で見下しているが1909年と1914年とでは運動の質がまったく違っていることを知らない。「この時代」とは運動の何たるかを日々模索しながら映画を撮り続けた映画創世記の情熱の時代であり今よりも異次元のスビートで刻々と変化する時間の過程でもある。それを130歳のご老体となった映画の現時点を進化の頂点として見下す視線が何をもたらしたか。『1923年にはコメディの芸術性は悲しいくらい意気消沈していた』とマック・セネットは回顧しているがキートンがマカッチョン「交際欄」を「リメイク」した「追っかけ」障害物競走の巻き込まれ運動「キートンのセブン・チャンス」を撮ったのは1925年である。この「1925」という数字には驚くしかない。確かにこの作品は「交際欄」にはなかった遺産→花嫁探し、という常識的因果関係によってオブラートに包まれてはいるが目的として撮られているのは剥き出しの逃走と追跡の運動でありキートンはとっくに廃れたはずの巻き込まれ運動を10年以上の時を超えて撮っている。セネット、アーバックル、チャップリン、キートン、、彼らはまだ生まれていないのかもしれない。
■マカッチョン&ポーター
マカッチョンとポーターは前科6犯的常習犯と巻き込まれ運動という質的に両極端な運動を初期映画において同時に撮ったパイオニアでありヒッチコック論文ではこの二つの運動をその映画キャリアにおいて撮った人物としてハワード・ホークスと山中貞雄について検討しているがここにウォレス・マカッチョン・シニアとエドゥイン・S・ポーターが加わることになる。そのマカッチョンは1908年に病気で姿を消しポーターは1909年にエジソンを離れている。マカッチョンの名前は映画史において呼ばれもしないが彼の撮った「交際欄」と「ロストチャイルド」といった純粋な巻き込まれ運動はキートン、ヒッチコック、山中貞雄といった異人たちに密かに受け継がれ「酒の密造者」」は映画史にGood Bad-Man(グッド・バッド・マン)を刻んだ決定的作品でありその後の西部劇、犯罪映画への道を開いている。この3つの作品ではすべてG・W・ビッツァーという、その後D・W・グリフィスのキャメラマンとなる男がキャメラを回している。ポーターはエジソンのもとでスラップスティックコメディ、原作物のシリアスな人間ドラマ、消失と出現の特撮、ストップモーションアニメ、社会的問題作、実話の犯罪者の映画化、ドキュメンタリー、さらにドキュメンタリータッチで断片的に撮られたフィクションなどあらゆるジャンルの映画を撮りながら因果に捕らわれない「良いシーン」を撮ることにたどり着きハワード・ホークスへの道を開いている。そのポーターとマカッチョンが数年のあいだエジソンで共同で監督をしている事実は映画史の運命としか言いようがない。1908年までの活劇はマカッチョンとポーターによって牽引されマカッチョンは1908年半ばに病気になり消息を絶っている。巻き込まれ運動と前科6犯の常習犯という活劇を世に送り出したマカッチョンとポーターに前科4犯的「ウィリーとティムの自動車」を加えるとその3つの運動をキャリアで撮った監督は山中貞雄しか知らない。その山中貞雄は1934年3月18日東京で開かれたとある学生たちとの座棚会で『今後どんなテーマをお好みになりますか?』という質問にこう答えている。
『どんな写真でも撮ります。又撮らなければなりますまいし』
はっとする言葉だがこうした発言を溝口、小津、成瀬といった監督からは聞いたことはない。この『どんな写真でも』と答えたその「どんな写真」とは、いったいどんなシャシンを意味するのか。ヤマナカの撮った巻き込まれ運動の「丹下左膳餘話 百萬兩の壺」は「交際欄」に、前科6犯の「人情紙風船」は「大列車強盗」に、前科4犯の「河内山宋俊」は「ウィリーとティムの自動車」に似ている。ヤマナカの「どんなシャシン」の「どんな」とは「どんな物語」ではなく「どんな運動」であり彼のフィルムもまた見ることでその瞬間を呼び起こすことができる。かつて、D・W・グリフィスという男が1908年にエジソンの門を叩き「鷹の巣から救われて」という作品で役者として映画デビューをする。撮影監督はエドゥイン・S・ポーター。同年グリフィスはバイオグラフへ移籍し「HER FIRST ADVENTURE(彼女の最初の冒険)」という作品で主演をする。監督はウォレス・マカッチョン・シニア。この信じ難き引きの強さとありえない偶然が活劇の映画史を引き寄せる。ここでグリフィスはジプシーに誘拐された娘を探して走り続ける父親を演じその半年後、処女作「ドリーの冒険(THE ADVENTURES OF DOLLIE)」でジプシーに娘を誘拐された父親が走ることの映画を撮っている。映画史は人間によって創られてゆく。西部劇で馬に乗ったガンマンがさりげなく小川を横切って水しぶきをあげたときそこには「追っかけ」障害物競走の面影を見ることができる。創世記の情熱は現在のまなざしで見つめられることを待ち続けている。