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カール・ドライヤー 「常習性」診断表。赤は職業と運動が一致している箇所。
題名・原題・製作国 | 職業=運動連関表 ①主人公の職業ないし属性 ②主人公が実際にする運動 |
起源 | 罪の意識・改心(回心) | 回想 | 常習性、その他備考 | |
1918 | 裁判長 Prasidenten デンマーク |
①裁判長 ②犯人を逃がす 職業運動ではなくさら広い人間運動。 |
あり 平民の女と結婚してはならないという先祖代々の家訓。この家訓は裁判長が本来持っている「常習性」を知的に縛っている。その家訓から解放される前と後の撮り方こそ重要。ドライヤーはそこをきっちり分けて撮っている。 |
あり。私生児の娘に対して。序盤の裁判長は家訓に縛られた心理的でしかめっ面の「初犯」。しかし家訓から自由になると 「常習犯」に回心する。普通のメロドラマとはまったく逆の展開。 |
あり ①裁判長の父親が平民の娘と結婚して家を滅ぼしたいきさつ ②裁判長が娘の母親とのいきさつを ③裁判長の娘が男に棄てられたいきさつ |
「前科4犯」の「常習犯」。 裁判官としての職務は撮られていないのでホークス的職業運動ではなく人間は人間をするという人間運動。 「初犯」から「常習犯」へ 序盤の裁判長は家訓によって知的に縛られた「初犯」。だが家訓から解放され「常習犯」へ回帰する。裁判長が娘を脱獄させるために動き出す瞬間を衝動的に撮っている。これが「常習犯」の撮り方。 「起源」が撮られ、回想が撮られ、罪の意識を有し、職務への葛藤、そして職務放棄、最後は自殺していることから「前科4犯」のジョン・フォード的「常習犯」に接近している。 召使いたちはさらに強い「常習犯」 メロドラマを主流としているノーディスク社ゆえに物語はメロドラマ調になっているが運動論的には単なるメロドラマ(「初犯」)としては撮られていない。実に斬新な撮り方をしている。 |
1919 | サタンの書の数ページ Blade af Satans Bog デンマーク |
サタン ①サタン ②人を誘惑して堕落させる 第一話 ①キリスト ②処刑される 第二話 ①貴族 ②異端の罪で処刑される 第三話 マリー・アントワネット ①王族 ②処刑される 伯爵一家 ①貴族 ②処刑される 第四話 電信技士 ①電信技士 ②偽の電信を打つことを拒絶する。処刑されそうになるが助かる。 電信技士の妻 ①電信技士の妻 ②偽の電信を打つことを拒絶する。自殺する |
サタン 第一話 神の子 第二話 なし 第三話 なし 第四話 なし |
サタン あり 第一話 なし。神に罪の意識はない。 第二話 なし 第三話 なし 伯爵一家の召使い あり 第四話 なし |
第一話 なし 第二話 なし 第三話 なし 第四話 なし |
サタンはサタンであり、人間は人間であり、という「常習犯」を撮っている(サタンが「職業」ならサタンは職業運動)。 サタンは罪の意識を有するものの神の命令なので停滞させることはできず「前科4犯」くらい。彼にそそのかされる者たちも罪の意識を有していることから「常習性」は弱い。しかし第一話のキリスト、第二話の貴族の娘、アントワネット、第三話の伯爵令嬢、そして第四話の夫婦などは決して「改心」することのない極めて強い「常習性」に支配されている。それが身に染みついた彼らの行動となって気品を漂わせている。 |
1920 | 牧師の未亡人Prästänkan スウェーデン |
牧師見習いの青年 ①牧師 ②牧師としての運動は最初に模擬説教をしただけ。ただそこで信者たちを聞き入らせてしまうだけのスキルは有している。あとは酔って未亡人の幻影にプロポーズする。恋人の寝室に忍び込んで未亡人に見つかる。悪魔に化けるが未亡人に見破られる。梯子を外す。 未亡人 ①牧師の未亡人 ②牧師をへこまし続ける。 |
①牧師見習いの青年 貧しい農家の出身でみなの助けで大学に入り苦学をして牧師になるための訓練を受けた ②牧師見習いの恋人マリ 『牧師になるまでは結婚してはならない』という父の言いつけを守り何年も待ち続けていた ③牧師の未亡人 『私は最初の夫と長年婚約していたが、先代の牧師の未亡人と結婚しなければ牧師にはなれないと言われた。先代の未亡人は虚弱で長く生きられないことは分かっていたので私たちにとっては辛い誘惑だった。私は他人の死の上に自分たちの幸福の希望を築きました。私たちは5年間待たなければなりませんでしたがその後も私たちは2人でできる限り幸せになりました。この部屋や壁には30年の幸せな想い出が刻まれていて教会の墓地には私の思いから離れることのできないお墓があるのです』 という「起源」を告白し運動が停止する。 |
①牧師見習いの青年とその恋人 あり ②未亡人 現在はなし。若い頃は罪の意識を有していたと回顧する。 |
なし | 牧師は「前科4犯」的「常習犯」 牧師の仕事は最初の候補者時代の説教だけで職務遂行型ではなく人間の常習性の物語。罪の意識、改心といったメロドラマではあるものの心理的なショットは撮られておらず根底にある人間性への信頼は変化していない。牧師の候補者としての説教、泥酔、私が主人だという宣言、悪魔の変装、階段を外すこと、といったエピソードを断片的に撮ることによってセフレンの弱さの中にある人間性をあぶり出し梯子を外すマクガフィンによって彼の「常習性」が露呈される。 未亡人は終盤「起源」を想起した後、廃人のようになって運動が一気に停滞するという「市民ケーン(CITIZEN KANE)」(1941)と同様の運動論を展開。。 |
題名・原題・製作国 | 職業と運動 | 起源 | 罪の意識 | 回想 | 備考 | |
1921 | 不運な人々 DIE GEZEICHNETEN ドイツ |
ハンネ=リーベ ①ユダヤ人 ②ロシア人に差別され攻撃される その兄 ①弁護士 ユダヤ教徒からキリスト教徒に改宗 ②ロシア人に殺される |
①兄 ユダヤ教徒からキリスト教徒に改宗し父親に勘当される |
なし 兄が多少罪の意識ありかも知れない。 |
あり。 ①ユダヤ教からキリスト教に改宗した弁護士の兄が父親から勘当されるシーンが。 |
「前科6犯」 「常習性」は極めて強い。 唯一弁護士の兄だけが葛藤を有しているが生き方を曲げることはない。他の者たちはおしなべて強い「常習性」に支配されている。それまでは「前科4犯」を撮り続けていたドライヤーが初めて「常習性」の強い作品を撮っている。 |
1922 | むかしむかし DER VAR ENGANG デンマーク |
王女 ①王族 ②放浪する。陶器職人になる。 王子 ①王族 ②放浪する。陶器職人になる。密漁する。 |
なし | 王女 ①わがままな王女が改心する。 |
なし | フィルムが欠落していて肝心なところが見えてこない。 女王は「改心」しているので「常習性」は弱いようにも見える。しかし一度陶工を愛したら決して愛を曲げない性質は女王が本来持っている性質でありそれは「改心」することなく一貫しているように見える。フィルムが欠落しているのでそこのところが今一つ見ることができない。 |
1924 | ミカエル Michael ドイツ |
ミカエル ①画家のモデル ②侯爵夫人の目を描く。 画家 ①画家 ②侯爵夫人の肖像画を描く(しかし完成せずモデルのミカエルが完成させる) |
①ミカエル 絵の才能がなく画家のモデルになる。 ②画家 なし ③侯爵夫人 なし ④公爵 なし ⑤アーデルスキョルド夫人 ややあるかも。 |
なし 決闘で命を落とす公爵にも罪の意識はない。みずからの愛を貫くことが侯爵のこの映画における存在意義なので罪の意識はあり得ない。 |
あり ミカエルがみずからが画家のモデルとなったいきさつを侯爵に打ち明ける。 |
「前科6犯」くらいか 画家が描けず、モデルが絵を描く。 職業運動ではなく人間運動。 ミカエル、侯爵夫人の「常習性」は強い。 画家も罪の意識があるわけではなく「常習性」は強い。 |
1925 | あるじ Du skal ære din hustru (原題・あなたは妻を敬わなければなりません)デンマーク |
夫 ①夫 ②わがままし放題 妻 ①妻 ②家事をする。夫を信頼している。 |
①夫 あり 事業に失敗した ②妻 なし |
①夫 あり。回心する。 ②妻 なし |
あり ①妻の内職シーン ②妻が老人の車椅子を押しているシーン |
夫は「前科10犯」の「常習犯」から「前科4犯」程度の「常習犯」へと回心する。決して「初犯」へ改心するメロドラマではないことの細部が積み重ねて撮られている。 運動論としては家族の日常性が夫によって乱される→失われた日常性を取り戻す、という流れ。 |
1925 | グロムダールの花嫁Glomdalsbruden ノルウェー |
小作人の息子 ①農民 ②農地を耕す(オープニングだけ) 地主の娘 ①農民 ②結婚する 地主の父親 ①地主 ②娘の結婚に反対する。 |
なし | ①小作人の息子 あり。娘が落馬したことに対して ②地主の父親 回心するが罪の意識によることではない。 |
なし | 「前科4犯」のしなやかな「常習犯」が撮られている。 職業運動はオープニングに青年が農地を耕すシーンだけ。それもマクガフィンに近く職業運動ではない。 そのオープニングで作業をしている青年と小舟でやって来た娘とのやり取りは2人の361分の1の日常性(常習性)を露呈させる稀有な細部。 母親の不在を省略して撮られているそのエモーションはジョン・フォードと通底している。 |
1927 | 裁かるるジャンヌ LA PASSION DE JEANNE D'ARC フランス |
ジャンヌ ①ジャンヌ ②裁判にかけられ火刑に処せられる |
なし | ①ジャンヌ 一度改心する |
なし | ジャンヌは一度「改心」したあと衝動的にそれを撤回する。その撮り方が映画の運動の質と直結している。ドライヤーは「常習犯」にしか興味を持っていない。 |
1931 | 吸血鬼 VAMPYR ドイツ、フランス |
青年 ①吸血鬼の研究家 ②血を採られる。吸血鬼を滅ぼす |
①青年 なし 悪魔信仰や吸血鬼の迷信の研究に没頭するあまり夢想家となり現実と超自然の境界がなくなった青年と紹介されているが本人が自覚している様子はない。 |
なし | なし | 巻き込まれ運動のようにも見れるが青年には「起源」があることから巻き込まれ運動ではなく人間の映画である。そして悪魔信仰の研究家の青年が吸血鬼を滅ぼすのだから『職業運動』のようでもあるが、彼は現実と超自然の境界がなくなったと紹介されているようにスキルは乏しく『人間運動』に接近している。 青年の主観ショットによる「見ること」の不確実性によってサスペンスを醸成している。大衆は「見ること」の不安に耐えられない。 |
題名・原題・製作国 | 職業=運動連関表 | 起源 | 罪の意識 | 回想 | 備考 | |
1943 | 怒りの日 Vredens Dag デンマーク |
魔女 ①魔女 ②夫を呪い殺す。夫の息子を誘惑する。 牧師 ①牧師 ②魔女裁判の公証人として魔女に審問をする。瀕死の審問官を看取る。妻に殺される。 |
魔女 あり 母親が魔女だが密告されなかった |
①魔女 なし ②牧師にあり 年の離れた妻との結婚に。 ③牧師の息子あり。父親の妻との不倫に。 ④牧師の母親 なし |
なし | 魔女を「職業」とするならこれは職業運動。 牧師の職業運動は審問官ラウレンティスを看取るくらい(職業がマクガフィン)。 魔女は「回心」しても「改心」はしない。それがどんな運命であれみずからの「本性」を受け容れて生きる、そういう女を撮っている。アンヌと牧師の母親の「常習性」は強い。牧師とその息子は弱い。 |
1945 | Två människor 二人の人間 スウェーデン |
この作品は未見である。 | ||||
1954 | 奇跡 ORDET(原題・言葉) デンマーク |
ヨハネス ①信心深い青年 ②奇跡を起こす |
①ヨハネス あり 神学の勉強に没頭したせいで27歳で心の病になったと周囲の者から言われているが本人はそう感じていない。 |
①青年 なし ②嫁 なし ③少女 なし その他 あり |
なし | 極めて強い「常習犯」なくして奇跡は呼び起せない。 「奇跡」という出来事を映画的にどう撮るか、ヨハネスの撮り方はそこに集約している。ヨハネスと少女は奇跡を信じていない。信じることを超えている。 残虐の映画史=ヒーロー伝説そのもの。 |
1964 | ガートルード デンマーク GERTRUD |
ガートルード ①妻 ②夫と別れて愛に生きる |
①ガートルード あり 元歌手。以前、詩人と付き合っていた(以上・夫との会話)。父は運命論者で人生は予め定まっていると教えられた(詩人の祝賀会での医者との会話)。 |
ガートルード なし 夫 あり |
あり ①ガートルードが音楽家の家に言ったシーン。 ②詩人との別れのいきさつ |
ひたすらガートルードの「常習性」が撮られている。自分の生き方に忠実に生きれば人を畏怖させ傷つける。 残虐の映画史。 |
題名・原題・製作国 | 職業=運動連関表 ①主人公の職業ないし属性 ②主人公が実際にする運動 |
起源 | 罪の意識 | 回想 | 備考 |